文/編集部
全国の名門高校の青春食堂を訪ね歩く食の旅人として「マツコの知らない世界」にも登場!の文筆家・鈴木隆祐さんが、これまで『サライ.jp』に寄稿いただいた「名門校の青春食堂」記事の数々をまとめてご紹介しよう。
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【名門校の青春食堂 第1回】
開成高等学校×フィレンツェの喫茶洋食
(東京・西日暮里)
https://serai.jp/gourmet/308957
『フィレンツェ』こそ、特にオタク系の開成生には根城。各種ボードゲームやプレステなどで遊べるので、直行する帰宅部生の中にはいまだ通い続ける者もいる。そんな一人に店に来てもらって証言を得たが、「回りを見ているうちに、自分でもできると過信」してしまい、東大を目指し三浪した挙げ句、工学院大学にようやく潜り込んだのだとか。
「考えてみれば、自分の人生のピークは開成に入れたことだったのかも」
そう肩を落とす彼だが、ママの郡司俊江さんがかける「元気そうじゃない?」の声ですぐ破顔一笑となった。どんな優秀な生徒・学生でも、社会に出れば壁にぶつかる。そんな時に立ち寄れる、こんな寛ぎの空間があるのとないのでは大違いなのだ。
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【名門校の青春食堂 第2回】
麻布高等学校×那須飯店の肉定食
(東京・広尾)
https://serai.jp/gourmet/308996
そもそも、那須飯店は麻布中高のごく近くにあったが、70年代初頭に広尾駅近くにも支店ができ、「上那須」「下那須」と呼び分けられていた。やがて上は閉店、下だけが残った。実はぼくも以前、この下那須をけっこう利用した。三十路に突入した頃、フリー稼業にいったんピリオドを打ち、転がり込んだ先の制作会社が元麻布にあった。そこで出前をよく取る店の筆頭が那須飯店だった。
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【名門校の青春食堂 第3回】
武蔵高等学校×好々亭と砂時計
(東京・江古田)
https://serai.jp/gourmet/309014
江古田駅は1922年の開業当初、武蔵高等学校用仮停留所という名前が付いていた。あくまで同校の生徒のための駅だったのだ。放課後に入り浸った駅周辺の雀荘やらゲーセンが「もうない」「まだあった」の話にすっかり花が咲いた。江古田はぼくにとっても、中高大と名画座がよいを毎週のようにした、縁の深い町だ。
そんな村上さんが40種以上ある好々亭のセットメニューからオーダーしたのが、「高校時代には高嶺の花だった」というスペシャル3品盛り合わせ定食(現950円)。この店自慢のハンバーグステーキ、カニクリームコロッケ、そして大エビフライが皿の上に所狭しと載る。
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【名門校の青春食堂 第4回】
筑波大学付属駒場高等学校×井上のポークピカタ
(東京・駒場)
https://serai.jp/gourmet/311315
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【懐かしの母校食堂 第5回】
駒場東邦中学校高等学校×三島
(東京・駒場東大前)
https://serai.jp/gourmet/311319
駒場東邦は立地的には池尻大橋駅にも足がかかっているのだが、やはり駒場東大前の店を選んでおこう。それもこの一店というなら、たこ焼きの『三島』に尽きる。数年前、同校の取材に行った帰りに寄ると、生徒がうじゃうじゃ唸っていた。
他校の制服も見かけたが、都立駒場か国際高校か……。筑駒生は私服なので判別がつく。隣の駄菓子屋の『たかはし』、それに『おいかわ』がまだ営業しており、中学生はそちらに吸い込まれていた。
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【名門校の青春食堂 第6回】
早稲田高等学校×メルシーのラーメン
(東京・早稲田)
https://serai.jp/gourmet/311333
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以上、「青春食堂の旅人」鈴木隆祐さんの「名門校の青春食堂」記事をまとめてご紹介した。名にし負う有名高校の高校生たちが青春の思い出にした懐かしの味、食べ歩きの参考にしていただきたい。
http://www.nihonbungeisha.co.jp/books/
引用文・写真/鈴木隆祐(すずき・りゅうすけ)
1966年生まれ。著述家。教育・ビジネスをフィールドに『名門中学 最高の授業』『全国創業者列伝』ほか著書多数。食べ歩きはライフワークで、『東京B級グルメ放浪記』『愛しの街場中華』『東京実用食堂』などの著書がある。近著に『名門高校 青春グルメ』がある。
▼鈴木隆祐さんの「東京実用グルメ」の記事もどうぞ!
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