◎No.14:海音寺潮五郎の日本刀
文/矢島裕紀彦
昭和16年(1941)11月、作家・海音寺潮五郎(かいおんじ・ちょうごろう)は徴用を受けて大阪の西部二十二部隊に入った。井伏鱒二、小栗虫太郎らの作家仲間も一緒。赴く先はマレーであった。
大阪の宿舎に到着した翌夜、部隊を統率する中佐が何の弾みか「俺の言うことを聞かんやつは、ブッタ斬る」とおめいた。硬骨漢の潮五郎は黙っていない。即座に「何を言う! ブッタ斬るとは何だ!」と、怒鳴り返した。
創作欲に溢れる同輩たち。たちまち話に尾鰭(おひれ)をつける。台詞回しは「無礼者! おめおめとは斬られんぞ!」と大時代なものに変貌。さらには持参の刀に着目。台詞と同時に長さ4尺の朱鞘(しゅざや)の剛刀のコジリをどんと床に突き立てた、との凄味ある演出も付いた。
戦後も日本刀は好んで身近に置いていた。娘の末冨明子さんの案内で、そのうち二振りと、東京・世田谷の海音寺潮五郎旧邸で対面した。孫六兼元(まごろくかねもと)と肥前忠吉(ひぜんただよし)。これらの刀を眺めつ、潮五郎は『二本の銀杏』『天と地と』などの骨太の作品構想に思いを巡らしたのか。没後の専門家鑑定で所有の愛刀に存外値打ちものが少なかったというのも、いまや作家の豪放なる骨柄の証明に過ぎないのである。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。『サライ.jp』で「日めくり漱石」「漱石と明治人のことば」を連載した。
写真/高橋昌嗣
1967年桑沢デザイン研究所 グラフィックデザイン科卒業後、フリーカメラマンとなる。雑誌のグラビア、書籍の表紙などエディトリアルを中心に従事する。
※この記事は、雑誌『文藝春秋』の1997年7月号から2001年9月号に連載され、2001年9月に単行本化された『文士の逸品』を基に、出版元の文藝春秋の了解・協力を得て再掲載したものです。