『サライ』本誌で連載中の歴史作家・安部龍太郎氏による歴史紀行「半島をゆく」と連動して、『サライ.jp』では歴史学者・藤田達生氏(三重大学教授)による《歴史解説編》をお届けします。
文/藤田達生(三重大学教授)
「半島をゆく」しまなみ海道編・瀬戸内の旅の2日目は、日本画家平山郁夫氏(1930~2009)の生誕地に接する向上寺(生口島=広島県尾道市瀬戸田町)からスタートした。
しまなみ海道の開通の記念に、平山画伯は「しまなみ海道五十三次」と題して60点の水彩素描画を描き下ろしたのだが、この寺院を画材にするものは4枚も描いている。故郷への愛着がなせるものであろう。私たちは潮音山上のスケッチポイントに立ち、晴天のなか甍光る向上寺三重塔を飽きることなく眺めた。
一重目がわずか3間(6メートル弱)のスリムな三重塔は、永亨4年(1432)に建立されたもので、国宝の三重塔の中では最も新しいものだそうだ。各重に趣のある花頭窓を配し、四隅の親柱の飾り付けには珍しい逆蓮華(蓮の花を逆に かぶせた形)が見られる。
永享5年(1398)8月6日付で、将軍足利義教は小早川守平に生口島地頭職を安堵している。向上寺は、応年7年に当地の地頭となった守平が瀬戸田の港からよく見える潮音山に一寺を建立し、臨済宗佛通寺派の高僧愚中周及(1323~1409)を迎えて開いたという。