文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「日本なしには一日も私は生きられなかった」
--島崎藤村

島崎藤村は42歳から45歳までの3年間、フランスに留学している。掲出のことばは、その際の体験を帰国後にまとめた随筆『エトランゼエ』の中に綴ったもの。人は、故国を離れたときにこそ明確にその存在を意識するのだろう。藤村はこんなことばも綴っている。

「世界を旅するのは、自分等を見つけに行くようなものだ。私はこの旅に上るそもそもの日から、それまで深く意識もせずに居た自分の髪を見つけ、自分の皮膚を見つけ、自分の眸を見つけた」

島崎藤村が神戸発のフランス船エルネスト・シモン号に乗りこんだのは、大正2年(1913)4月13日のことだった。外国人の乗客、乗員で賑わう船中で、藤村がたったひとりだけの日本人。不惑を超えての孤独な旅立ちだった。

つねならば、この時代の「洋行」にはある種の華々しさがつきまとう。だが、藤村の場合は違っていた。藤村は、場合によっては二度と故国に帰らぬことまで覚悟していた。出立前、すべての版権を新潮社に売り渡したのも、そうした覚悟のあらわれだったろう。

パリに到着した藤村は、パリ留学の先輩である画家の有島生馬が紹介してくれたパリ5区ポオル・ロワイヤル通り86番地、マダム・シモネの下宿に落ち着いた。そして、フランス語の勉強をしながらパリのあちこちを散策。その見聞をまとめた随想を東京朝日新聞に書き送ったりしながら生活していた。

3年の時を経て、長引く戦乱とつのる郷愁に動かされ、藤村が帰国を決意してパリを離れる。大正5年(1916)4月29日のことである。帰国に際し、藤村は、改心の意味をあらわすつもりで鼻下の髭を剃り落としたという。

渡仏時の覚悟や帰朝前の改心の陰には、一体なにがあったのか。藤村の心の奥に重しとなっていたものは、いわゆる「新生事件」だった--。

7人目の子どもの出産で妻を亡くしたあと、藤村の家には、子育てや家事の手伝いのため二人の姪がきていた。あろうことか、そのうちのひとり、こま子を妊娠させてしまい、藤村は逃げるようにパリへ渡ったのである。上海から香港へと向かう船上で手紙をしたため、藤村は兄の広助(こま子の父)に事態を告白した。広助は大きな騒ぎにすることなくこの告白を受け入れ、内々に処理した。生まれた子はすぐに里子に出されたという。

だが、帰国後の藤村は、この事件を題材にして自ら『新生』という小説を執筆し新聞紙上に発表したのだ。

その衝撃度は、若き女弟子への恋情を赤裸々に告白した田山花袋の『蒲団』の比ではなかった。藤村は、よくも悪くも、まことに文学の鬼ともいうべき男であったのである。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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