新着記事

膝や腰の痛み、原因は足の形かも 甲高や扁平だと、なぜひざや腰に負担がかかるのか?|「足の形」が原因の膝や腰の痛み メイドイン京都の小さなおりん|澄んだ音色が心地よい手のひらサイズのおりんセット 黒澤明『用心棒』 観るたびに面白く、見飽きない。どんなハリウッド映画も吹き飛ばすほどの痛快さ|黒澤明『用心棒』【面白すぎる日本映画 第28回】 日本リメイク版『24』ジャック・バウアー役を演じてほしい俳優ランキング|3位 は 岡田准一 、2位は ディーン・フジオカ 、1位は? 日本リメイク版『24』ジャック・バウアーを演じてほしい俳優ランキング|3位 は 岡田准一 、2位は ディーン・フジオカ 、1位は? 被災時に預貯金などを引き出すには【被災したときに役立つ生活再建のための知識】 被災時に預貯金などを引き出すには【被災したときに役立つ生活再建のための知識】 出雲黒柿の香筒|柿の古木が生む超希少な材を使った伝統の逸品 今もっともアツい動物行動学者、入交眞巳先生の新刊は愛猫家必読のバイブル【にゃんこサライ特別編】 レクサス車の顔として定着した、台形をふたつ合わせたようなスピンドルグリルが印象的。ヘッドライトは小型LED3眼を採用。 レクサスES|12年ぶりに国内販売を再開した上級4ドアセダンの革新性【石川真禧照の名車を利く】 【ビジネスの極意】なぜ、有望な新人を適材適所に配置できないのか? 【ビジネスの極意】なぜ、有望な新人を適材適所に配置できないのか? 鉄瓶 観月アラレ|まろやかな湯が沸く使い勝手のよいサイズの鉄瓶

サライ本誌最新号

住宅特集アンケート実施中です!

別冊付録「大人の逸品カタログ」商品はこちらから

ピックアップ記事

>>過去の記事へ

サライの通販

>>過去の記事へ

趣味・教養

「江戸っ子になろうと思って、江戸っ子のまねをした」(エリセーエフ)【漱石と明治人のことば337】

sousekiKotobaBanner2

文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「私は江戸っ子になりきろうと思って、なんでも江戸っ子のまねをしました」
--セルジュ・エリセーエフ

明治期の日本と日本人が前のめりになって西洋化を進めている一方には、日本に深い興味と親しみを持ち、日本研究に身をひたした西洋人もいた。セルジュ・エリセーエフもそのひとりだ。

帝政ロシアの大富豪の御曹司として生まれたエリセーエフは、明治末期の日本にやってきて、東京帝国大学で日本文学を学んだ。卒論のテーマは松尾芭蕉。その足跡を追ってみちのくを行脚し、日本語で見事な論文を書き上げ、高い評価を獲得。卒業式には、明治天皇の前に、銀時計組と伍して並ぶことを許されたという。卒業後は、大学院に進んでさらに研究を深める傍ら、江戸っ子的な暮らしを実践した。

掲出のことばは、晩年パリに落ち着いていたエリセーエフが、共同通信のパリ支局長を勤めていた評論家の倉田保雄のインタビューに答え、当時の自分を振り返って語った台詞。つづけて、こうも言ったという。

「和服を着て下駄をはいて銭湯であついお風呂に入ったものです。下町の朝湯で町内の江戸っ子たちと一緒に手拭いを頭にのせて浪花節をうなるのを聞きながら、あつーいお湯につかっているのはいい気持ですね」

日本留学当時のエリセーエフの親友は、漱石の門弟の小宮豊隆だった。一緒に歌舞伎を見に行ったり、花柳界でのお座敷あそびにも興じた。その小宮の紹介だろうか、エリセーエフは漱石山房の「木曜会」にも出入りし、漱石の薫陶を受けた。ある日の漱石の日記には、こんな記述もある。

「エリセエフ、東、小宮、安倍能成来る。エリセエフは露人なり。『三四郎』を持ってきて何か書いてくれと云う」

これは、明治42年(1909)6月24日夜の出来事。雨が降っていたため、エリセーエフは袴の股立ちをとって漱石山房に赴いた。持参の『三四郎』を差し出し何か一筆したためてほしいとエリセーエフが頼むと、漱石は求めに応じ、「五月雨や股立ち高く来る人」の一句を書きつけてくれたという。

ロシアに帰ったエリセーエフは、ペテルブルク大学で日本文学を講義した。テキストは漱石の『門』だった。大正5年9月1日付の芥川龍之介、久米正雄あて漱石書簡には、

「エリセフ君はペテルブルク大学で僕の『門』を教えているのだから、是には本式の恐縮を表します。その上僕の略伝を知らせろというのです。何でも『門』を教える前に、僕の日本文壇に於る立場、作風、etc という様な講義をしたというのだから驚天します」

との一節も読める。

その後、ロシア革命が起こりボルシェビキ時代となると、大富豪は人民の敵とされ、エリセーエフと家族はヨーロッパへ亡命した。しばらくフランスに落ち着いていたが、米国ハーバード大学に東洋語学部が新設されるに当たって招聘され、渡米。それから23年間にわたり、日本学、日本文学を講じた。その教え子のひとりが、のちに駐日アメリカ大使をつとめるエドウィン・O・ライシャワーだったという。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

「サライおみくじ」で今日の運勢をチェック!おみくじには「漱石と明治人のことば」からの選りすぐりの名言が表示されます。どの言葉が出てくるか、クリックしてお試しください。
↓↓↓

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

関連記事

  1. 「秋立つや一巻の書の読み残し」(夏目漱石)【漱石と明治人のことば…
  2. 「年の暮れには追憶を、年の初めには希望を」(幸田露伴)【漱石と明…
  3. 「見果てねど はた見あきねど我が夢は 四十余年の夢多き日々」(滝…
  4. 「子供のために一流の文学者が進んで執筆しなければ嘘だ」(鈴木三重…
  5. 最晩年の谷崎潤一郎が愛する風景を詠んだ歌【漱石と明治人のことば3…
PAGE TOP