「ああ自分のようなものでも、どうかして生きたい」(島崎藤村)【漱石と明治人のことば77】

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今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「ああ自分のようなものでも、どうかして生きたい」
--島崎藤村

新体詩人として出発した島崎藤村が小説家に転身したのは、明治39年(1906)3月の小説『破戒』の刊行による。「緑蔭叢書第壱篇」として自費出版され世に出たこの作品に逸早く目を留めたのは、夏目漱石だった。漱石は書籍刊行から8日目にはこの作品を読み終え、門弟の森田草平あての手紙にこう綴った。

「破戒読了。明治の小説として後世に伝うべき名篇也」

漱石はつづけて、森田が関係している雑誌にぜひ紹介記事を載せたらどうか、と推薦。『破戒』が文壇に認められる後押しをした。

『破戒』の成功のあと、藤村は自伝的長篇小説『春』を朝日新聞に連載した。連載終了後、「緑蔭叢書第弐篇」として自費出版されたこの自伝的作品の終末で、主人公が呟くのが掲出のことば。そこには、藤村のたどった苦しみと、そこを突き抜けて生きようとする逞しい生命力を読み取ることができる。

誰しも、自己や身の回りを見つめれば、欠点や恵まれない環境に嘆息することはある。でも、踏み越えて生きていこう。そんな励ましにもなることばだろう。

作中には、こんな一文も読める。

「親はもとより大切である。しかし自分の道を見出すということは猶大切だ」

振り返れば、『破戒』の文壇的成功の裏で、藤村は相次いで3人の娘を失っていた。執筆中の厳しい耐乏生活が、子どもたちの栄養状態や病気に対する抵抗力に少なからぬ影響を投げかけていたことは想像に難くない。

そこまでしても、藤村は自己を貫き『破戒』を書かざるを得なかった。まさに「文学の鬼」とでも呼ぶべき作家だった。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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