今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「心まで所有することは誰もできない」
--夏目漱石
夏目漱石が、小説『それから』の中に綴ったことばである。他者の心は、たとえそれが夫婦でも恋人でも、親子の間柄でも、所有することはできない。当たり前のことなのだが、実生活の中の人間はしばしばそんなことも見失ってしまっている。漱石はそうした人間たちのありよう、心というものを、深く考えつづけた作家であった。
小説『それから』は、主人公である長井代助の住んでいる東京に、代助の友人の平岡常次郎が失職をきっかけに戻ってきたところから、物語が展開していく。平岡の傍らには妻の三千代がいる。実は平岡と三千代の仲は、学生時代に代助が取り持ったものであった。もともと代助と三千代との間には好意があった。代助はそれに強いて目をつぶるようにして、平岡と結びつけるような成り行きになっていたのだった。
平岡は銀行員となり京阪の支店で働いていたが、妻の出産後、遊びだし放蕩を重ねた。部下の遣い込みの責任をとり辞職したというが、そこにはことば通りでない、平岡自身の関与も疑われる。平岡はかつての平岡ではないように感じられなくもない。一方で、生まれた子供は夭逝し、三千代は心臓に持病をかかえる身となり、生活にやつれている。
そんな三千代の様子、夫婦のありようを見て、代助は自分の中にひそんでいた「自然」の心に改めて気がつき、三千代との間に思いを通わせるようになる。
掲出のことばは、代助が平岡に三千代への思いを告白する場面でのやりとり。平岡に「他人(ひと)の妻を愛する権利はあるか」と問われ、代助は人間の心まで所有することはできないと応ずるのである。代助はつづけて、こんなふうに言う。
「本人以外にどんなものが出て来たって、愛情の増減や方向を命令する訳には行かない。夫の権利はそこまで届きやしない。だから細君の愛を他へ移さないようにするのが、かえって夫の義務だろう」
こうして、代助は世間から非難されることも覚悟で、禁断の愛を貫くことを決意していく。
夫婦相和し、添い遂げることが、ひとつの理想ではあるのだろう。しかし、相手の心は所有物ではないのだから、傷つけたり放ったらかしにしておいていいはずはない。夫婦といえど、お互いの気持ちを尊重し、努力していくことが必要なのだろう。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。