今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「辿りつき振り返り見れば山河を越えては越えて来つるものかな」
--河上肇

京都市左京区鹿ケ谷の法然院は、谷崎潤一郎夫妻の墓所としても知られる。ふたつ並んだ自然石の墓石に、それぞれ「空」「寂」の文字が刻まれ、真ん中に枝垂桜が植えられている。墓石の裏面にとりたてて説明書きはないが、「寂」の方が谷崎の墓だという。

同じ法然院の墓地、入口からはいってすぐのところには、『貧乏物語』の著作で有名な経済学者・河上肇の墓もある。門人たちが建てたというその墓碑に記されているのが、本人の手になる掲出の歌である。

河上肇は明治12年(1879)山口県岩国の生まれ。東京帝国大学在学中、足尾銅山の鉱毒事件に関する救済演説会を聞いて、その場でただちに着衣すべてを寄付し新聞記事にもとりあげられた。基底には、聖書マタイ伝の一節への感動があったらしい。「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」というその教えから、絶対的利他主義へと至り着く萌芽がすでに見られる。

『貧乏物語』は、はじめ『貧乏物語断片』の題名で大阪朝日新聞に連載(大正5年)。翌年、京都の弘文堂書房から単行本が刊行された。先進諸国における貧困の実態と原因を解明し、貧乏を根治するには金持ちによる奢侈品消費の自制、富裕層と貧困層との格差是正が必要だと訴え、好評をもって迎えられた。大正8年(1919)に創刊の個人雑誌『社会問題研究』も、社会問題に関心を持つ多くの若者に影響を与えた。

その後、さらに社会主義経済の実践を求道的に志した河上は、京大教授を辞任。共産党に入党して地下運動にかかわり、検挙され長い獄中生活も味わった。出所後は、閉戸閑人と号して『自叙伝』の執筆に専心する。昭和21年(1946)1月、終戦による新時代の到来を喜びながら、栄養失調症によって逝去した。

66年の生涯は、まさに墓碑に刻まれた通りであったのだろう。そして、人間の一生とは、山の高さや険しさ、流れの速さ深さは異なるとも、それぞれがその人なりに、いくつかの山河を越えていくものなのだろう。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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