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文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「もともと地上に道はない。みんなが歩けば道になる」
--江田三郎

上に掲げたのは、政治家の江田三郎が色紙などに好んで書いたことば。もともとは中国の文学者・魯迅に由来するものだという。

江田三郎は明治40年(1907)岡山の生まれ。東京商大(現・一橋大)を中退して農民運動に身を投じ、戦後の昭和21年(1946)社会党に入党した。昭和25年(1950)、郷里の岡山から参議院選挙に出馬して当選。社会党内では、中央執行委員、農民部長を経て、昭和35年(1960)3月の党大会で書記長に推されている。そして同年10月には、あの浅沼稲次郎委員長の刺殺事件があって委員長代行に就任した。

父親としての江田三郎は、どっしりしていて、子供たちの前では細かいことで一喜一憂する姿を決して見せなかった--そんな話を、以前、江田三郎の長男である江田五月さん(元参議院議長)から聞いたことがある。たとえば、こんな出来事があったという。

あるとき、東大教養学部在学中の五月さんが、学生仲間とともに自民党の総裁室に侵入して逮捕されてしまった。五月さんにいわせれば、自民党に抗議するために総裁室を訪れたらドアがあいていた、中に入ったら閉じ込められてしまった、というだけのことなのだが、逮捕する権力側からは別の見方が付与されていたのだろう。

逮捕された学生の中で、五月さんはナンバー・フォーに位置する存在だった。検察ではナンバースリーまでは起訴、ナンバーファイブ以下は起訴しないという方針になり、4番目の江田五月さんをどうするかが問題になった。そして、当人が社会党の書記長の息子だということで、父親の江田三郎を呼んで謝らせ、二度とこんなことはさせないと約束すれば、起訴しないという方向性が決まった。

早速、江田三郎のもとへ使いがきたが、三郎は動じない。それどころか、

「息子が自分の意思でやったことに、オヤジが謝りに行くわけにはいかん。黙秘権行使の新記録でもつくるよう、頑張れと言っといてくれ」

と返答し、きっぱりと謝罪を拒絶したというのだ。
結局、五月さんは処分保留で起訴を免れ釈放されるが、東大は退学処分となった。それでも、三郎は取り立てて何も言うことはなかったという。

顧みれば、江田三郎自身、戦前、治安維持法違反で2年8か月の刑務所暮らしを体験している。そんな辛酸をなめているからこそ、長男の逮捕や退学処分のことを聞いても、あわてず騒がずという態度でいられたのだろう。

浅沼稲次郎のあとの社会党委員長代行となった江田三郎は、その後、構造改革論や江田ビジョンを打ち出すが、激しい党内抗争に巻きこまれ、昭和52年(1977)春、ついに社会党と訣別した。江田三郎が示した「江田ビジョン」は、米国の高い生活水準、ソ連(当時)の社会保障、英国の議会制民主主義、そして日本の平和憲法を併せ持つ国をつくろうという理想論だった。あまりに理想的なビジョンだったため、現実離れの空論と批判された向きがあったのか。

社会党を離れた江田三郎は、社会市民連合を旗揚げして東奔西走する。だが、体調はすぐれず、昭和52年(1977)5月11日、検査のため入院。そのまま入院生活11日で不帰の客となった。壮絶な政治の闘いの中での戦死。息子である五月さんの目には、そんなふうに映ったという。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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