文・絵/牧野良幸
今回から始まる【面白すぎる日本映画】。いま見ても魅力的で面白い日本映画の数々を、続々とご紹介していきたい。
記念すべき第1回、ご紹介するのは成瀬巳喜男監督の作品『乱れ雲』(1967年公開)である。これは1930年にデビューした成瀬の遺作となった作品だ。成瀬はその2年後の69年に亡くなることになる。
ごく普通の映画好きだった僕が、昔の日本映画に惹かれるようになったのは、まさに成瀬巳喜男の作品に出会ったからだった。
成瀬巳喜男の映画はいずれも地味だ。しかし黒澤や小津にはない安堵感があるのだなあ。だから成瀬映画は僕にとって港のようなものだ。クロサワやオズ、ミゾグチ、世界に名だたる監督の面白すぎる映画を観て、身体を休めたくなったらここに帰ってくればいい。そんな包容力を成瀬映画には感じるのだ。
『乱れ雲』は1967年公開ということもあって、カラー作品である(成瀬が残したカラー作品4本のうちのひとつ)。67年といえばビートルズの『サージェト・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』が発表された年だ。日本ならブルーコメッツの「ブルー・シャトー」が流行っていた。活気がある。そして僕は小学生で「ウルトラマン」を見ていた。
だから『乱れ雲』の舞台となる東京や青森は、今に通じる街並である。車も僕が少年の時眺めていた懐かしい60年代風デザイン。主役もいかにも60年代を象徴する二人だ。「若大将」こと加山雄三と司葉子である。
『乱れ雲』はメロドラマである。由美子(司葉子)は夫を交通事故で失う。しかし車を運転してした史郎(加山雄三)は不慮の事故ということで無罪となる。それでも良心の呵責から由美子への償いを続ける史郎であったが、いつしか史郎の思いは愛情に変わっていく。そんな史郎を激しく恨み、拒絶する由美子……。
加山雄三の“若大将ぶり”が見事に役にはまっているのである。黒澤明の『椿三十郎』での若侍や『赤ひげ』の青年医師の役でも伺えたように、加山雄三のかもしだす“正義感”には嫌みがなくていい。
それにしても由美子役の司葉子は美しい。もともと綺麗なのに、60年代風のヘアースタイルがキマっている。60年代というと僕は「ウルトラセブン」のアンヌ隊員に魅惑されていたものだが、オヤジの今は『乱れ雲』の由美子に魅惑されていると言っていい。
その由美子は、誠意をつくす史郎を拒絶することで苦しめる。しかし映画の結末を知っている我々には由美子の史郎への嫌悪感が高まるほど、そして史郎が苦しめば苦しむほど、ゾクゾクとくるのである。
なぜなら由美子がとうとう史郎に会いにくる時がくるからだ。史郎の下宿を訪れた由美子は階段の下にたたずむ。それを二階から驚きをもって見つめる史郎。階段の上からとらえる由美子の姿のなんとエロティックなことか。女性を撮ることにかけては名匠であった成瀬の面目躍如であろう。
この映画がエロティシズムに溢れていると思うのは僕だけではないだろう。別に濡れ場はない。それでもいろいろな場面で僕の頭の中にエロティシズムが漂うのである。武満徹の、この作曲家にしては珍しい抒情的な音楽もまた二人をからみ合わせる。
結末はもちろんここでは書かない。しかしこの映画は結末を知っていても繰り返し観てしまう。それは僕の手で由美子と史郎を何度でも引き合わせ、苦しみさせ、愛し合わせたいからだ。まるで悪戯好きの神様のように。
【乱れ雲】セルDVD
■価格:4500円 + 税
■発売日:2005年8月26日
■品番:TDV15260D/1967年度作品
■発売元:東宝
https://www.toho.co.jp/dvd/item/html/TDV/TDV15260D.html
文・絵/牧野良幸
1958年 愛知県岡崎市生まれ。イラストレーター、版画家。音楽や映画のイラストエッセイも手がける。著書に『僕の音盤青春記』『オーディオ小僧のいい音おかわり』(音楽出版社)などがある。ホームページ http://mackie.jp