文・絵/牧野良幸

成瀬巳喜男の映画には似たような設定の作品がいくつかあって、既視感を覚えることがある。たとえば『めし』(1951年)、『夫婦』、(1953年)『妻』(1953年)がそうだ。

共通するのは、ささやかな家に暮らしている夫婦。二人には子どもがおらず、毎日ちゃぶ台をはさんで食事をするも心が通い合っているとは言えない。そしてちゃぶ台の前に座る疲れ気味の夫には、いずれも上原謙。既視感を覚えるのもムリないだろう。

しかしこの3作品、噛めば噛むほど異なる味わいを覚える映画だ。どれも僕は好きである。そのなかで今回は『妻』をとりあげてみよう。

冒頭からいきなり無言の夫婦が描かれる。「どうして二人の生活がうまくかないんだ、妻は俺にどうしろというんだ……」と夫が出勤の道すがら思えば、黙って見送った妻も「あの人は何を考えているのか分からない……」とイライラする。これって今日の既婚者にも「あるある」ではないか。すぐに映画に引き込まれた。

夫の十一を演ずるのは二枚目スターの上原謙(加山雄三のお父さん)、妻役は高峰三枝子だ。二人はこの約30年後に国鉄のCM「フルムーンキャンペーン」で仲睦まじい温泉シーンを演じて話題になるけれど、それはのちの話。この映画では“うまくいかない夫婦”を好演(?)している

しかし僕としては、映画の主役はこの夫婦ではなく、十一の会社の同僚、相良さんだと思っている。

相良さんは上品で清楚な女性だ。箸を楊枝代わりに使い、湯のみのお茶で口をゆすぐ品のない妻とは大違い。相良さんは会社に持ってくる弁当も愛情たっぷり。これも夫に髪の毛が入っている弁当を持たせる妻とは大違い。

こんな相良さんから昼休みに「どちらへいらっしゃいますの? 私、お共してかまいません?」と言われたら、そりゃあムシャクシャしている毎日。十一は喜んで承諾するだろう。

こうして十一と相良さんは仲良しになった。やがて関係を持つが、妻にバレて、ついに十一は相良さんへの気持ちを正直に告白してしまうのだった。

ここから夫を軽んじていた妻が動き出す。相良さんに夫と別れてくれるよう直談判。うろたえた相良さんは十一の前から姿を消した。

僕が「相良さんを主役と思ってしまう」と書いたのは、ここまでの相良さんの姿がたいへん眩しいからである。初めて十一を誘ったときの清楚で明るい会社員姿。十一と美術館でデートしたときの和服姿。大阪で十一と密会したときの子連れ姿。そして十一の妻にどなりこんで来られたときの庶民とは思えぬ高貴な姿。

相良さんが輝いていたのは、演じた丹阿弥谷津子の魅力によるところが大きいと思う。また女性を描かせたら定評の成瀬監督の手腕でもあるだろう。僕も映画を観ているあいだ、相良さんと付き合っていたような気持ちになっていた(あ、僕の家庭は大丈夫です、はい)。

ちなみに十一夫妻は事件のあとも破滅せず、“うまくいかない夫婦”を相変わらず続けている。ラストは映画の冒頭と同じ出勤場面。「やっぱり別れるべきだろうか、しかし……」、「妻とはこんなものなのだろうか……」。お互い煩悶しながら暮らす夫婦。これもまた「あるある」かもしれない。

『妻』
■製作年:1953年
■製作・配給:東宝
■モノクロ/96分
■キャスト/上原謙、高峰三枝子、丹阿弥谷津子、高杉早苗、新珠三千代、三国連太郎 ほか
■スタッフ/監督:成瀬巳喜男、原作:林芙美子 『茶色の目』、脚本:井手俊郎、音楽:斎藤一郎

文・絵/牧野良幸
1958年 愛知県岡崎市生まれ。イラストレーター、版画家。音楽や映画のイラストエッセイも手がける。著書に『僕の音盤青春記』『オーディオ小僧のいい音おかわり』(音楽出版社)などがある。ホームページ http://mackie.jp

 

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