今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「あんにゃろ、俺の面倒を見るって言ってたくせに、先に逝っちまいやがって」
--古今亭志ん生
8代目桂文楽と並んで昭和を代表する落語家といえば、まずは5代目古今亭生ん生の名があがるだろう。両人の噺は対照的で、自在のマクラを操り自由闊達な魅力を見せる志ん生に対して、文楽はいつどこで演じてもきっちりと型にはまった格調の高さを見せた。
書にたとえるなら、「草書」の志ん生に「楷書」の文楽。趣こそ異なれ、どちらも秀抜の話芸で聴く者を魅了した。
ふたりはライバルであるとともに親友でもあった。
高座にあがらなくなってから2か月余りが経過した頃、文楽は1本のウイスキーボトルをさげて志ん生の家を訪ねた。ふたりでウイスキーを酌み交わし、飲み残しのボトルは「ここに預けとこう」と言って文楽は帰っていった。
その年の12月12日、文楽は逝く。わずか3日前に志ん生は長年連れ添った妻・りんを失っており、志ん生の口からは掲出のことばがもれた。涙声であった。
それは文楽のことを言っているのか、りんのことを言っているのか、もはや本人にも区別しかねたのではないか。愛する人、信頼する友に先立たれるやる瀬ない悲哀があふれている。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。