式子内親王(しょくし/しきしないしんのう)は、仁平元年(1151)頃、後白河天皇の第3皇女として生まれ、11歳から10年間、賀茂神社の斎院として神に仕えました。斎院は未婚の皇女が務める重要な役割で、彼女はその後も歌人として高く評価され、400首以上の和歌を残しています。

特に『新古今和歌集』には49首が収められ、後鳥羽上皇からも賞賛されました。式子内親王の私生活は波乱に満ち、兄の以仁王の戦死や、甥の安徳天皇の入水など、源平合戦の動乱を生き抜きました。文治元年(1185)に斎院を退いた後、出家し「承如法(しょうにょほう)」と名乗り、建仁元年(1201)に51歳で亡くなりました。

式子内親王の思い人は、藤原定家や法然など諸説あり、真偽は不明です。彼女の和歌は、当時の歌壇での交流や師匠藤原俊成との関係を通じて広く認められました。

天皇皇后両陛下の長女・愛子さまが、「式子内親王とその和歌の研究」という題で卒業論文を執筆されたことでも知られています。

式子内親王『百人一首画帖』より
(提供:嵯峨嵐山文華館)

目次
式子内親王の百人一首「玉の緒よ~」の全文と現代語訳
式子内親王が詠んだ有名な和歌は?
式子内親王、ゆかりの地
最後に

式子内親王の百人一首「玉の緒よ~」の全文と現代語訳

玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする

【現代語訳】
自分の命が絶えるのならば絶えてしまえ、このまま生き長らえていると、耐え忍ぶ心が弱ってしまうから

『小倉百人一首』89番、『新古今和歌集』恋歌1034番に収められています。斎院を退いた後も恋が許されない立場でありながら、「忍ぶ恋」を詠んだ歌です。

「玉の緒」は命を意味し、「生きながらえていると恋心を隠し通せなくなるかもしれない、いっそ命が絶えてしまえばいいのに」という切ない心情を表現しています。

歌の後半では、「忍ぶ」と「弱りもぞする」で恋心を強調しており、藤原定家との恋愛関係が事実であれば、まさに「忍ぶ恋」だったことが想像できます。「絶え」「ながらへ」「弱り」は「緒」の縁語で、歌の表現を豊かにさせています。

この歌は、強い恋心とその苦しみを対比させ、内面的な葛藤を情熱的に表現しています。式子内親王は、恋を秘めることの辛さを訴えつつ、命が続くことへの不安を詠み、抑えた恋の激情を感じさせる作品となっています。詩人の萩原朔太郎も、この歌の独自性と内面的な情熱を高く評価しています。

式子内親王『百人一首画帖』より
(提供:嵯峨嵐山文華館)

式子内親王が詠んだ有名な和歌は?

百人一首の中で女流歌人は21名いますが、皇室に連なるのは持統天皇を除いて式子内親王ただ一人。高貴な身分でありながら和歌史に名を残しているのです。そんな式子内親王の歌を二首紹介します。

1:山ふかみ 春ともしらぬ 松の戸に  絶え絶えかかる 雪の玉水

【現代語訳】
山が深いので春になったことも知らない松の戸に、途切れ途切れに掛かる玉のような雪解け水よ。

「山ふかみ」により、外界から隔絶された静かな山の奥深くの情景が表現されています。「春ともしらぬ」は、春の訪れに気づかないほど静かで、時間がゆっくりと流れている様子を表しています。「松の戸」は粗末な庵の戸を表し、「たえだえかかる雪の玉水」は、雪解けの雫が途切れ途切れに落ちる様子を表しており、春の訪れを象徴的に示しています。

全体として、静寂な山奥で、春の訪れをひっそりと感じている様子が表現されており、式子内親王の繊細な感性が感じられる歌です。

2:忘れめや 葵を草に引きむすび かりねの野べの 露のあけぼの

【現代語訳】
忘れることがあるでしょうか。葵の葉を枕として結んで旅寝した野辺の一夜が明けて、露の置いたあの曙の景色を。

「葵」は葵の葉のことで、賀茂神社の葵祭と結びついています。「草に引きむすび」は草を結んで枕にすることで、旅寝の様子を表し、ここでは神聖な場所で過ごした一夜を表現。「かりね(仮寝)」は「刈り」「根」と草に関連する言葉が掛かっており、「露のあけぼの」は夜露に濡れた夜明けの情景を表しています。

全体として、葵祭で賀茂神社に仕えていた頃の情景と、その時の厳かな雰囲気、感動を鮮やかに表現しており、斎院時代の思い出を懐かしんでいる様子が伺えます。

式子内親王、ゆかりの地

式子内親王ゆかりの地を紹介します。

般舟院陵

般舟院陵(はんじゅういんりょう)は、式子内親王の墓と伝えられる場所がある陵墓です。

京都市上京区にある般舟院陵は、室町時代と江戸時代の天皇の妻子13人がまとめて祀られている宮内庁管理の陵墓です。式子内親王の墓と伝えられる塚は、この般舟院陵内の左奥に位置しています。塚のそばには特に案内表示はありませんが、古い石仏に囲まれた五輪塔があり、ひっそりと佇んでいます。

式子内親王の墓とされる根拠は不明ですが、「定家蔓の墓」という別名からも、藤原定家との関係性を示唆するものとして、古くから伝えられてきたと考えられます。 

最後に

この歌は、式子内親王の深い感情と、平安時代の女性の恋愛観を象徴する作品として、今なお多くの人々に感動を与えています。彼女の歌は、抑えた恋の激情を感じさせ、和歌の美しさと深さを再認識させるものです。式子内親王の歌は、時代を超えて人々の心に響き続けています。

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『全文全訳古語辞典』(小学館)
『原色小倉百人一首』(文英堂)

アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館)

●執筆/武田さゆり

武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。

●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com

●協力/嵯峨嵐山文華館

百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp

 

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