西行法師(さいぎょうほうし)は、平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した武士であり歌人、僧侶です。俗名は佐藤義清(のりきよ)。藤原秀郷(ひでさと)の流れを汲む武士の家系に生まれ、鳥羽上皇に仕える北面武士として将来を嘱望されていましたが、23歳で出家しました。
その理由は諸説ありますが、鳥羽上皇の皇后・待賢門院(たいけんものいん)への失恋を断ち切るためという説も伝えられています。真言宗の僧となった彼は、遍歴の旅に出て、各地の自然と対話しながら和歌を詠みました。
その歌風は自然を愛し、人生の無常を深く見つめたもので、約2300首もの歌が現在に伝わっています。『新古今和歌集』には最多の94首が収められるなど、当時から高い評価を得ており、歌集『山家集(さんかしゅう)』も広く知られています。その後の歌人、例えば松尾芭蕉にも影響を与えたといわれ、日本文学史における重要な歌人の一人です。
目次
西行法師の百人一首「(嘆けとて)~」の全文と現代語訳
西行法師が詠んだ有名な和歌は?
西行法師、ゆかりの地
最後に
西行法師の百人一首「嘆けとて~」の全文と現代語訳
嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな
【現代語訳】
嘆けといって月が私にもの思いをさせるのだろうか、いや、そうではない。本当は恋の悩みだというのに、まるで月のせいであるとばかりにこぼれ落ちる私の涙であるよ。
『小倉百人一首』86番、『千載集(せんざいしゅう)』929番に収められています。この歌は「月前の恋」というテーマのもと、月を見ることで自然に涙がこぼれる様子を描写しています。月のせいにするように詠むことで、悲しみをこらえる心情が表現されています。一見、月は嘆きの原因であるかのように見えますが、実際は慰めを与えてくれる存在として描かれています。
「かこち顔なる」の「かこち」は「かこつ」、他のもののせいにする、言いがかりをつけるという意味。「かこち顔」は、うらめしそうな顔つきを表します。ここでは、月に罪を負わせる様子でありながら、月はまるで歌人の悲しみを理解し、寄り添ってくれるかのようにも見えます。
西行は旅を続け、自然と対話することで慰めを得ていましたが、この歌でも月を擬人化することで、孤独を癒そうとしていたのかもしれません。
また、月は古来より物思いを誘発する存在とされ、神秘的な力を持つものとして畏怖されてきました。西行自身、俗世を捨てた自らの境遇と、夜空に浮かぶ月との間に共通点を見出していたのかもしれません。
西行法師が詠んだ有名な和歌は?
西行法師には、前述したように多くの歌が残されています。その中から二首紹介します。
1:空になる 心は春の霞にて 世にあらじとも 思ひ立つかな
【現代語訳】
空になる私の心は春の霞がたちこめているようだ。もうこの世の中に留まるまいという気持になるのです。
『山家集』に収められています。詞書(ことばがき、和歌の前書きのこと)に、「世にあらじと思い立ちけるころ、東山にて人々、寄霞述懐と云事よめる」とあるので、23歳で出家する前に詠んだ歌とされています。
2:思ひきや 富士の高嶺に 一夜寝て 雲の上なる 月を見んとは
【現代語訳】
高嶺の花だと思っていたあなたと一夜を過ごすことができるなんて、思いもよらないことでした。富士山よりもさらに高い、雲の上のように手の届かないあなたと月を見るなんて。
この歌は、彼が恋に浮かれていた時に詠んだ歌とされています。高貴な女性(待賢門院)に恋をしましたが、逢瀬が叶った後に女性は「あこぎの浦ぞ」と返事をしました。
この言葉は、次の逢瀬は阿漕の浦でという意味ですが、実はこの浦は伊勢神宮に供える魚を獲る漁域であり、そこで漁をすると海に沈められるという掟がありました。この女性の言葉を聞いて、失恋の痛みを感じ出家を決意したといわれています。
西行法師、ゆかりの地
西行法師ゆかりの地を紹介します。
弘川寺
弘川寺は、大阪府南河内郡河南町に位置する歴史ある寺院で、行基や空海も修行した由緒ある場所です。そして西行終焉の地として特に有名です。
境内には西行の墓があり、西行堂には西行像やゆかりの品々が展示されています。また、桜の名所としても知られ、特に隅屋(すや)桜と呼ばれる紅枝垂れ桜は、例年4月上旬から下旬にかけて見頃を迎えます。
最後に
西行法師は出家者でありながら恋の歌が多いことで知られています。彼の歌を通じて、現代でも変わらぬ心の葛藤や人間の感情を感じ取ることができます。この機会に、西行法師の歌を深く味わい、その背後にある思いを感じ取ってみてはいかがでしょうか。その世界に触れることで、あなたの人生にも新たな発見があるかもしれません。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『全文全訳古語辞典』(小学館)
『原色小倉百人一首』(文英堂)
アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館)
●執筆/武田さゆり
国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com
●協力/嵯峨嵐山文華館
百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp