ライターI(以下I):『光る君へ』第16回では、一条天皇(演・塩野瑛久)の母で皇太后だった詮子(演・吉田羊)が「東三条院」の女院号を与えられました。
編集者A(以下A):正暦2年(991)、円融上皇(演・坂東巳之助)が崩御されたことで、藤原詮子は出家して、皇太后ではなくなります。その際に与えられたのが「東三条院」という女院号。史上初めてのことになります。上皇が「院」と呼ばれるのに準じたもので「院庁」も設けられ、蔵人などお付きの役人も付けられる待遇が新たに誕生したということになります。劇中ではあっさりと説明されただけですが、歴史的には重要なトピックス。この「女院号」ですが、幕末に孝明天皇の母正親町(おおぎまち)雅子が「新待賢門院(しんたいけんもんいん)」の女院号を与えられるまで100人超が与えられています。
I:私が知っているのは「建礼門院徳子」。平清盛の娘で、高倉天皇の女御になり、安徳天皇を生んだ方ですね。建礼門院徳子というと、彼女の女房である「建礼門院右京大夫」を思い出します。平資盛と恋仲に落ち、その際に交わされた和歌などをまとめた『建礼門院右京大夫集』は紫式部や清少納言の時代に花開いた女流文学の、私にとっては最後を飾る作品です。
A:平資盛と右京大夫、そして建礼門院徳子が織りなす人間模様は、合戦に明け暮れる時代の一服の清涼剤。そして、合戦が続く日々が続き、武士の時代が訪れることで、女流文学の潮流が絶えてしまったこともしっかり記憶に刻んでおきたいと思います。
I:さて、女院号の話に戻りましょう。
【当初の原則が崩れていく女院号。次ページに続きます】