文・写真/谷川ひとみ(海外書き人クラブ/ロシア・北コーカサスの歴史を研究中)
ドニプロはウクライナ南部のドニプロペトロフスク州の州都で、都市として4番目の人口がある。一般にドニプロは、重要産業が集まる産業都市として知られている。黒海沿岸都市であるオデーサや、旧市街が世界遺産に登録されているリヴィヴと比べると観光客は少なく、知名度も低いのではないだろうか。確かに目玉と言えるような有名な観光地はないが、その分ドニプロを訪れるとウクライナ人の飾り気のない生活を感じやすいともいえよう。
筆者は2016年と2018年にドニプロを訪れた。なんといってもお気に入りは、ドニプロの町のメインストリートだ。その理由は、道路の真ん中の緑豊かな遊歩道エリアで、絵や織物など様々な手工芸品が露店で売られていることである。
特に目を引くのは、ドニプロペトロフスク州が発祥とされユネスコの無形文化遺産にも登録されている「ペトリキウカ」である。皿やお盆などを象った木材に華やかな手描きの装飾が施された美しい装飾品である。ユネスコ無形文化遺産が、観光地でもない道路わきで売れられていることになんとも言えないギャップを感じてしまう。
一つ一つ手描きのため職人によって個性があり、見ているだけでも楽しい。よく見ると作り手によって、大胆な雰囲気の物、繊細な雰囲気のものと違いがあるのが伝わってくる。季節をテーマとするような伝統的な模様から、より現代的なオリジナル作品もある。中には職人自ら売っている露店もあり、熱心に作品の説明をしてくれる。ほとんどの作品に、描いた人のサインが入っているのもうれしいポイントだろう。
これらの露店は個人が売りに来ているので、いつ、だれが来ているのか、何人くらい来ているのかは分からない。今日は天気がいいからたくさん露天商がいるだろうと思っていくと、そうでもなかったりする。そんな気まぐれも、地元の人の日常生活が垣間見えるようで楽しく感じられたりする。
また、通行人も露天もさほど混みあっていないので、露店の主人とのんびり話をして、商品を説明してもらうことができる。作った職人さんがどんな人なのか、村の生活はどんなか、といった話を聞いたりもした。
ペトリキウカ自体は首都キーウなどでも購入することはもちろん可能だ。しかし、職人から直接話を聞いて選んで買える、というのはドニプロ訪問の醍醐味と言えるだろう。
ドニプロに来ると、目を引かれることがもう一つあった。それは、「戦時中のウクライナ」という風景だ。
ドニプロペトロフスク州は親露派が大部分を支配するドネツク州に隣接しており、例えばドニプロの病院は東部戦争の負傷兵らを受け入れている。また、ドネツク州の前線にいる兵士が短期間の休暇にドニプロに来ることも多いようだ。このためか、首都キーウなどでは感じられない、危機意識とでもいうのだろうか、どことなく戦時中という雰囲気が伝わってくる。
例えば、町には「我々はウクライナ人だ!」と壁に書かれていたり、中心街では負傷兵とその家族に対する募金の呼びかけをする軍服を着たバンドが演奏したりしていた。「ウクライナ人だ!」という主張からは、主張しなければウクライナ人では無くなる可能性がある、という意識が働いているのだろうか、と筆者は考えを巡らせたりした。
一方で、それらの主張は基本的にロシア語で書かれており、人々もロシア語で会話をしていた。ウクライナ語はラジオやテレビ、公共交通の放送など限られた場面でしか聞かれなかった。
地元民と話していても、ドニプロもドネツクのように、親露派支配地域となっていたかもしれない。次に何か起こるなら、それはドニプロかもしれない。と言った不安の言葉を聞くことが度々あった。このような危機感からか、東部問題を解決できないウクライナ政府や軍への不満を耳にすることもあった。さらに、前線の兵士の姿を日常的に目にするからだろうか。休暇にドニプロに来た兵士が、酒を飲んで羽目を外す様子に対して不満を漏らす声が聞かれることもあった。ウクライナはもはやカタストロフだ! と言葉にするような、悲観的な人も多く、ドニプロはウクライナの東部問題を肌で感じる町という側面も有していた。
文・写真/谷川ひとみ(ロシア・北コーカサスの歴史を研究中)大学院博士課程に在学中。研究の傍ら、北コーカサスの紛争や人権問題にも関心を持ち、シリア紛争、ウクライナ・ドンバス戦争なども取材。ライターとしても活動している。海外書き人クラブ会員。(https://www.kaigaikakibito.com/)