文・写真/谷川ひとみ(海外書き人クラブ/ロシア・北コーカサスの歴史を研究中)
マリウポリはウクライナ東部のドネツク州の2番目の人口を持つ都市で、アゾフ海に面した港町である。ウクライナ全体としては10番目の規模を持つ都市となる。ドネツク州の大部分は2014年にウクライナ東部で戦争が起こり、ウクライナのコントロールが及ばなくなった。いわゆる親ロシア派のドネツク人民共和国となったのである。マリウポリも一時は親ロシア派支配下になったものの、ウクライナ軍が奪還した。以降、長らくウクライナのコントロール下にあるドネツク州の中で最も大きな都市がマリウポリとなった。
筆者がマリウポリを訪れたのは2016年だ。マリウポリは東部前線に近く、郊外では散発的な戦闘や攻撃もある。さらにリヴィヴやキーウなどの他の都市と比べて、観光資源も乏しいといえるだろう。それでも訪問した理由は様々あるが、ひとつはやはりドネツク州に行ってみたいというものだった。
筆者は鉄道駅近くのホテルを予約していた。インターネット検索して一番安かったからだ。ホテルに行くと、インターネットに表示されていた価格はベッド一つの価格で、シングルルームは満室だという。ツインルームは倍額だと言われて困ってしまった。しかし、女性が一人で泊っている部屋があるので同室でいいなら表示価格と同じでいいという。その部屋に案内してもらうと、泊っているのは20代の女性だった。喋り相手が居たほうがむしろうれしい、と女性と同室にすることに決めた。
女性はドネツク人民共和国から来たという。つい最近出産し、子供の出生届を出しに来たというのだ。人民共和国は国として認められていないので、たとえばパスポートなどを取得しても外国へは行けない。これでは子供の将来を妨げることになる。子供が生まれるまで、そこまで思い至らなかった。この先が心配だと話していた。
ドネツク州は公式にはウクライナの領土だが、ドネツク人民共和国内のウクライナの役所は閉鎖されているのだ。そのため、検問を超えてウクライナコントロール下の町まで来ないといけないのである。検問を超えるのに、10時間以上かかることも普通だという。女性は初めて検問を越えたらしく、とても大変だった、あんなもの体験するものではない、と言った。
同世代で話しやすかったのもあり、思い切って「なぜ危険で不安定なドネツクにとどまっているのか?」と聞いてみた。「離れることも考えたことがある。でも、思い入れのある家があり、夫には仕事もある。両親もいる。離れられなかった」と言った。とにかく自分の家に住んでいたいと、嫌な顔をせず答えてくれた。
ホテルを出て中心街や市場などをみて周ってみると、なるほどマリウポリはそこまで大きな都市ではないが、海沿いの開放的な雰囲気がある中規模都市といった感じだろうか。中規模都市と言っても、西部のリヴィヴなどと比べると街並みもだいぶ異なる。どことなくよりロシアを思わせる雰囲気で、人々も皆ロシア語で会話している。
さらに散策を続けると、あちこちのATMや役所の前に行列ができていることに興味を引かれた。ウクライナの他の町では見覚えのないものだった。並んでいる人に話しかけてみれば、彼らもまたドネツク人民共和国に住む人々だった。年金の受給、パスポート更新などのウクライナ国民としての役所関係の書類を整えるためにマリウポリに来ているという。
行列はあちこちある。おそらく、かなりの人数の人々がドネツク共和国からマリウポリに来ているのだろう。彼らはいったいどこに泊まっているのだろうか? と不思議に思った。聞けば、マリウポリの町にはインターネットには掲載されていない民宿があちこちにあるのだという。筆者が泊まっているところよりもかなり安い。民宿の電話番号を教えてもらい、早速筆者もその民宿へと電話をかけ宿を移すことにした。
教えてもらった民宿は、町の中心部から少し外れた場所にあった。聞いた住所を頼りに、周りの人に聞きながらなんとか家を探し当てた。特に看板なども出していない、普通の大きめの一軒家だった。到着直前に電話をしていたので、家主が玄関に出てきてくれていた。特にドネツク人民共和国から来た人専用というわけではないようで、家主にも宿泊客にも嫌な顔をされずに入れてもらうことができた。
内部も古めの民家を改造して民宿にしているようだった。トイレに簡易シャワー、個室が3つほどあり、それぞれの部屋にベッドが可能な限り置いてある、といった具合である。民宿全体では10人以上が泊まっていただろうか。筆者が与えられたのは小さめの部屋で3つベッドがあった。母親の年金受給のための手続きをしに来た、というドネツクの町からほど近い村出身の親子と同室になった。
親子の母親は親ロシア的な人のようだった。基本的にロシアの国営テレビを視聴しているようだ。息子や周りの人はそれを微妙な顔で見ながら黙っている。親ロシア、親ウクライナといった話はしたくない、という空気だった。
他のほとんどの宿泊客が、多くを語らなかった。こういう状況なのだ。どうしようもない、パスポートの申請などのためにわざわざ検問を越えてお金をかけてマリウポリまで来なければならないのだ、と話した。皆一様に暗い表情をしていた。
マリウポリ滞在中、筆者はドネツク人民共和国から来た人と話すことが多かった。そのためか、マリウポリのイメージはなんだか暗いものとなっている。明るい印象を受けたのは、民宿に泊まっていた休暇でマリウポリに来ていた、宿主の友人という女性である。西部のリヴィヴ州に住んでおり、農業を営んでいるという。家の畑で採れたものはおいしいよ! リヴィヴに来るなら遊びに来てね、と言ってくれた。ドネツク人民共和国の人は、一様に来るな、外の人が来るようなところではない、と言っていたせいだろうか、「遊びに来てね」と言ってもらえることが、とてもうれしく、明るい気持ちにさせてくれたのを覚えている。
文・写真/谷川ひとみ(ロシア・北コーカサスの歴史を研究中)大学院博士課程に在学中。研究の傍ら、北コーカサスの紛争や人権問題にも関心を持ち、シリア紛争、ウクライナ・ドンバス戦争なども取材。ライターとしても活動している。海外書き人クラブ会員。(https://www.kaigaikakibito.com/)