はじめに─源実朝とはどんな人物だったのか


三代将軍、源実朝(演:嶺岸煌桜)。皆さんは、この人物にどんなイメージを抱いていますか? 将軍と呼ばれながらも、和歌の印象が強いのではないでしょうか。

なぜ、実朝が和歌を愛するようになったのか、それは、実朝の辛い生い立ちにありました。将軍と呼ばれながらも、風流人としてその名を歴史に刻んだ実朝の人生についてみていきましょう。

⽬次
はじめに─源実朝とはどんな人物だったのか
源実朝が生きた時代
源実朝の足跡と主な出来事
まとめ

源実朝が生きた時代


実朝が生きた時代は、まさに武士の社会が始まろうとしているときでした。初代将軍で優れた指導者であった父、頼朝が亡くなり、若い頼家と実朝が将軍になると、頼朝という求心力を失った御家人たちが政治の実権を握ろうと画策し始めます。

頼家や実朝に実権を握らせないためにつくられたのが、2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に関連する「十三人の合議制」です。13名の有力御家人の合議によって政治を行おうとする仕組みのことを指します。

源実朝の足跡と主な出来事

続いて、実朝の生涯について迫っていきましょう。若い頃から和歌や京文化に興味を抱いてきたその理由についても紹介します。ぜひ、実朝の気持ちを想像しながら読んでみてください。

源頼朝の二男として誕生

実朝は、建久3年(1192)に源頼朝と北条政子の間に二男として、生を受けました。幼名は千幡(せんまん)といいます。兄である頼家は後に二代将軍に。実朝も後に三代将軍として将軍職を引き継ぎます。

二代将軍頼家が廃され、征夷大将軍に

頼朝が亡くなった後、兄の頼家は、17歳で家督を継ぎ、征夷大将軍となります。しかし、母親である北条政子が、頼家の支配する関西38か国の地頭職を実朝に分与しようとしました。

そのことに反発を覚えた頼家は、外家にあたる比企一族と手を組んで、権力の回復を画策。しかし、その計画は失敗に終わり、建仁3年(1203)に頼家が重病を患ったことで、将軍職を奪われてしまったのです。そして、頼家が伊豆に配流されたことで、実朝が将軍職を引き継ぎ、12歳という若さで征夷大将軍になったのです。

この時、名前を千幡から実朝に改めました。

京から夫人を迎える

元久元年(1204)、京都から後鳥羽上皇の母七条院の姪に当たる、権大納言藤原信清の女子を迎えて妻としました。このことからも、実朝が京都の文化に興味を示し、あこがれを持っていたことが分かります。

京都の文化や和歌に憧れを抱き始める

実朝は将軍職に就いたものの「十三人の合議制」によって政治の実権を奪われていたので、政治上、多くを期待できない状態でした。年中行事への親臨や寺社参拝といった公的役割を果たすだけの存在となってしまった実朝は、次第に和歌に心惹かれるようになっていきました。

元久2年(1205)には12首詠じたとされ、歌会もしばしば催されたそうです。また、中世を代表する歌人である藤原定家とも親密な交流があったとされています。しかし、武家の社会にあってこのような姿の実朝は、次第に孤立を深めていきました。

渡宋を計画する。次ページに続きます

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