皆さん、再開した『麒麟がくる』はお楽しみになられていますか? いよいよ明智光秀が表舞台に出てきましたね。例年ですと、大河ドラマのゆかりの地を訪ねて楽しまれている方も多いのではないでしょうか。しかし今年に限っては、県をまたがる移動を控えている方も多いと思いますので、サライ.jpの関西班が皆様に代わって動画でレポートをいたします。可能な限り、現地の臨場感をお伝えしますので、お楽しみください。
今回は、「金ヶ崎城址」を訪ねてみました。この地は、織田信長が義弟である浅井長政のまさかの裏切りにあい、敗走しながらの撤退戦を演じた場所として有名です。浅井長政に嫁いでいた信長の妹・お市の方が両端を紐で縛った小豆袋を兄・信長に送り、長政の裏切りを伝えたという逸話は広く知られていますよね。一般的には、木下藤吉郎秀吉が殿(しんがり)を努めて功をあげたと言われていますが、実際には秀吉だけではなく、池田勝正の他、光秀も加わっていたという記録が残されています。
それでは、「金ヶ崎城址」の雰囲気と情景を動画でご覧ください。
■光秀、秀吉がともに命を賭けた、「金ヶ崎の退き口」
1570年、明智光秀が足利義昭と織田信長の両氏に仕えていた頃、信長は三河国の徳川家康とともに、越前の朝倉義景を攻めたとされています。戦の舞台は敦賀の金ヶ崎、光秀はこの遠征軍に参加していたという記録が残っています。『麒麟がくる』でも描かれていましたが、相手は光秀が長年にわたり士官をしていた義景。光秀としては複雑な心境での参戦ではなかったでしょうか。
さて、織田・徳川連合軍は、敦賀郡の諸城を落としながら、金ヶ崎城を攻略しました。そこから、越前へ進軍しようとしたところで、信長と同盟関係を結んでいた北近江の浅井長政が裏切ったという情報を入手。冒頭で紹介した、お市の方の逸話に繋がります。
信長を落ち延びさせるために、秀吉を始め、光秀らが殿を務めました。この場面は、これまで多くの大河を始めとしたドラマでも取り上げられており、印象深いシーンです。多くの場合、秀吉が殿を申し出て活躍をし、これを境に大きく飛躍する出来事として描かれています。世に言う、「金ヶ崎の退き口」です。秀吉や信長を描く戦国ドラマの一つの見せ場となります。
今回の『麒麟がくる』ではどのように描かれるのでしょうか? 楽しみですね。
■戦国武将の気持ちを考えながら辿る山頂までの道と月見御殿跡からの眺望を楽しむ
金ヶ崎城址は、敦賀湾に尾根が突き出した天筒山(171.3メートル)の尾根(標高86メートル)にあります。
山麓にある難関突破や恋愛祈願で有名な金崎宮から、常緑広葉樹が鬱蒼と茂る登山道をしばらく登ると、本丸跡に着きます。この間約15分程度。周辺には、織田軍に焼かれた兵糧庫の跡などが見られます。
動画でご覧いただけたらわかるように、城郭配置をうかがわせるような遺構はありません。所在地からは敦賀湾のほとんどを一望できます。別名「月見御殿」と呼ばれた場所だけあって、月見にはもってこいの場所だということがうかがえます。
金ヶ崎城の築城時期・築城者は不明ですが、歴史文献に登場するのは、12世紀の末、平通盛(たいらのみちもり)が木曾義仲(きそのよしなか)との戦ったことが記されています。14世紀には足利尊氏に追われた新田義貞が当城を拠点としていました。
■周辺のおすすめ情報・敦賀きっての人気ラーメン店
光秀の足跡を辿りながら、立ち寄ってみることをお勧めするスポットをご紹介します。
金ヶ崎城址の近隣でのおすすめは「中華そば一力」。創業50年をこえる老舗で行列が絶えないお店として、地元でも有名です。豚骨・豚脂、鶏骨・豚脂を使い、敦賀の美味しいお水と醤油で仕上げた黄金のスープは旨味が凝縮されています。
【中華そば一力】
営業時間:11時〜19時(売り切れ次第閉店)
休業日:火曜日・不定休
住所:福井県敦賀市中央町1丁目13-21
アクセス:JR敦賀駅からコミュニティバスで13分、市役所前下車すぐ
TEL:0770-22-5368
■「金ヶ崎城址」アクセス情報
金ヶ崎城址 住所:福井県敦賀市金ヶ崎町1-4
アクセス:JR敦賀駅からぐるっと敦賀周遊バスで8分、「金崎宮口」下車、徒歩約25分
コロナ禍が落ち着いた暁には、実際にその地ぜひ訪れてみてください。
取材・撮影・動画撮影/末原美裕・貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
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