日本各地には多くの湧水がありますが、その中で、何故か名水と呼ばれる水があります。ただ、美味しいというだけではなく、その水が、多くの恵みをもたらし、人々の命に深く関わり、生活を支えてきたからに他なりません。それぞれの名水からは、神秘の香りと響きが感じられます。

名水の由来を知ることは、即ち歴史を紐解くことであり、地域の文化を理解すること。名水に触れ、名水を口にすれば、もしかすると、古の人々の想いに辿り着くことができるかもしれません。

歴史ある水を訪ね古都を歩きます。

古来より「神・仏」と「水」には、深い縁があり、人々の暮らしとも密接な結びつきがございます。

神世の時代から「水」は穢れを“洗い流す”と信じられ、「神・仏」を祀る聖域を訪れる際には、周辺の清廉な河川の水や湧き水で身を清めるという風習・慣わしがありました。今でも、そうした仕来りの名残りを留めている寺社も少なからず残されているようです。

その代表的な場所としては、三重県伊勢市の皇大神宮(伊勢神宮 内宮)。境内の西側を流れる神路山を源流とする五十鈴川の辺りは、口と手をお清めする御手洗場(みたらしば)として広く知られています。

五十鈴川の辺りの御手洗場
伊勢神宮 内宮の五十鈴川の辺りの御手洗場

時代の流れと共に“水の清らかさ”は次第に失われ、仕来りも簡略化されてゆき、今日では多くの寺社仏閣においては「手水舎(ちょうずしゃ・ちょうずや・てみずや・てみずしゃ)」がお清め場所として設置されております。定かではありませんが、手水舎の普及は鎌倉時代以降という説があるようです。

神・仏と「水」には浅からなぬ縁があり、全国の寺社仏閣には「水」や「湧水」がその名称の由来となった寺社も少なくないようです。今回ご紹介する名水も、有名な古刹「紀三井寺」(正式名:紀三井山金剛宝寺護国院/きみいさんこんごうほうじごこくいん)の由来となった三つの井戸(湧水)を訪ねました。

紀州のお殿様も愛した名水は、紀三井寺の名称ゆかりの水

本来、穢れを洗い流す「清めの水」の中には、時として、重い病を治癒させたり、子供を授けたりするなど不思議な効能を示す「水」があったようです。

そうした「水」は、やがて「御神水」と呼ばれ、多くの人に崇拝され信仰の対象にもなってきました。

科学の時代となった今日においても、「御神水」のご利益を得たいとペットボトルに汲み取り持ち帰る人や、購入する人が沢山おられます。実際に「御神水」と呼ばれる水を、科学的に分析してみると一般的な飲料水に比べ溶存成分の多い特異な水であることが多いようです。

下鴨神社の御神水
下鴨神社の御神水

今回ご紹介する紀三井寺は「紀州にある三つの井戸が有るお寺」ということで、その名称の由来になっているのが「清浄水(しょうじょうすい)」、「楊柳水(ようりゅうすい)」、「吉祥水(きっしょうすい)」という三つの名水井。その三つの名水にも摩訶不思議な伝説や有難い御利益の逸話が残されています。

名水についてご案内する前に、紀三井寺の由緒・歴史についてご紹介することにしましょう。公式サイトより転載させていただきます。

紀三井寺 本堂 (県指定重要文化財)
紀三井寺 本堂 (県指定重要文化財)

紀三井寺は、今からおよそ1250年前昔、奈良朝時代、光仁天皇の宝亀元年(AD770)、唐僧・為光上人によって開基された霊刹です。為光上人は、伝教の志篤く、身の危険もいとわず、波荒き東シナ海を渡って中国(当時の唐国)より到来されました。そして諸国を巡り、観音様の慈悲の光によって、人々の苦悩を救わんがため、仏法を弘められました。

行脚の途次、たまたまこの地に至り、夜半名草山中腹に霊光を観じられて翌日登山され、そこに千手観音様の尊像をご感得になりました。上人は、この地こそ観音慈悲の霊場、仏法弘通の勝地なりとお歓びになり、十一面観世音菩薩像を、自ら一刀三礼のもとに刻み、一宇を建立して安置されました。

それが紀三井寺の起こりとされています。

紀三井寺 公式サイトより https://www.kimiidera.com/history/

紀三井寺の由来となっている三名水「清浄水」、「楊柳水」、「吉祥水」の名称は、初代紀州藩主徳川頼宣(徳川家康の十男)の命により、儒学者の李梅渓(りばいけい)が名付けたものと伝わっています。それでは、「三つの井戸」それぞれを訪ね、逸話として残る伝説や御利益をこ紹介しましょう。

徳川御三家の一つ紀伊家の居城・和歌山城天守
徳川御三家の一つ紀伊家の居城・和歌山城天守

三つの井戸にまつわる不思議な逸話と御利益

最初に、中ノ瀧とも呼ばれる「清浄水」からご紹介しましょう。「清浄水」は、三つの井戸の中では多くの人に知られる水。参道の石階段の途中、47段目あたり本殿に向かって右側にあります。湧き口から誘導された水路を通り、岩の途中から突き出た管から白糸の滝のように流れ落ちておりました。落下する水の周りには囲いがあるため、水を汲み取ることができなかったのは少し残念でした。

中ノ瀧とも呼ばれる「清浄水」
「清浄水」の水源
「清浄水」の水源

この「清浄水」には、竜宮の乙姫様にまつわる不思議な逸話が残っておりますでご紹介しましょう。

「開山為光上人が寺を開いて間もなく、大般若経六百巻を写経し終った時、上人の前に竜宮の乙姫様が現れました。そして、上人に竜宮での説法を乞うて中ノ瀧・清浄水へ身を投じます。すると、その身は龍に化身したそうです。」

この時、上人が乙姫様のこの願いに応じたか否かはわかりませんが、こうした逸話を持つ「清浄水」は、古来より名水として、茶の湯、お華の水、墨の水、あるいは酒、味噌、醤油等の醸造に使用されているようです。「清浄水」の周辺には、松尾芭蕉に詠まれた「清浄水」にまつわる句をはじめ、後世の俳人達の句碑が連なり建立されており、荘厳な空気感をまとっているようでした。

「清浄水」を囲むように建つ松尾芭蕉をはじめとした句碑
「清浄水」を囲むように建つ松尾芭蕉をはじめとした句碑

「清浄水」から南へ数十メートルほど移動したところに二つ目の「楊柳水」があります。「楊柳水」は、南の滝とも呼ばれ「人々を病から救うありがたい水」として広く知られていたそうです。しかし、いつしか人々から忘れられ昭和60年ごろには、周囲は草木に覆われ覆屋の白壁も落ち、井戸そのものも泥で濁ってしまい荒廃していたそうです。

そうした状態を見かねた、地元で建設業を営む木下治郎氏(故人)が、私財を投じて現在の状態にまで復興されたそうです。今では、立派な覆屋の中に井戸は収まっており、紀三井寺の由来となった井戸としての佇まいを感じさせてくれます。取材中も、参拝者の方がペットボトルに「楊柳水」を汲み取って持ち帰る様子も見受けられ、御利益への信仰が感じられました。

歴史を感じさせる楊柳水の石碑
歴史を感じさせる楊柳水の石碑
修復された楊柳水の立派な覆屋
修復された楊柳水の立派な覆屋

さて、三つ目の井戸「吉祥水」は、少しばがり分かり難い場所。紀三井寺の正面楼門より北へ向かって約400メートルほど歩いた民家の裏手にありました。「吉祥水」の立札と、誘導路入口の小さなお社が目印です。

吉祥水の場所を示す立札
吉祥水の場所を示す立札

細い誘導路を進み、突き当たりの階段を登りきった所が水場でした。水場の周辺は石が積み上げられ、その石垣の中程から突き出した石樋(いしとい)から水が流れ落ち「吉祥水」と刻まれた石桶に溜まるようになっていました。
しかし訪れた時、残念なことに石樋から水は落ちておらず、「吉祥水」を手に掬うことはできませんでした。冬場の渇水で一時的に枯れているのでしょうか。

周囲はひっそりと寂しい感じで、本殿からやや離れていることもあって、ここを訪れる参拝者の姿を見ることはありませんでした。由緒書きを読んでみますと、昭和初期の頃から、数度にわたって附近の山肌が崩落し、流出した土砂によって水筋も変わり、水桶施設なども埋没した時期があったそうです。

吉祥水の取水場

しかし、三葛地区の地元住民が中心となって「瀧のぼりの清水」として親しまれてきた「吉祥水」を復活させたそうです。時代も流れ、環境が大きく変化してしまったことで、“瀧”が登れるほどの水量は失ってしまったのでしょうが、歴史や伝説を大切に守ることが環境保全につながっていることを実感しました。

吉祥水の由来の説明板
吉祥水の由来の説明板

尚、今回ご紹介しました紀三井寺の由来となった「三つの井戸」は、昭和60年3月に環境庁より日本名水百選に選出されております。紀三井寺へご参拝の折には、ゆかりの井戸を巡ってみてはいかがでしょう。

紀ノ国屋文左衛門にまつわる恋話と出世の逸話

最後に、紀三井寺の参道231段もある急な階段には、誰もが知る歴史上有名な人物の逸話が残っておりますのでご紹介しましょう。

紀ノ国屋文左衛門の逸話が残る、紀三井寺の参道、231段もある急な階段
紀ノ国屋文左衛門の逸話が残る、紀三井寺の参道。
231段もある急な階段

江戸時代の中期・元禄期の豪商と知られる・紀ノ国屋文左衛門。若い頃は、紀州湯浅あたりに住む貧しい青年であったそうです。青年・文吉は、大変な親孝行であったらしく、ある日のこと、母親を背負い紀三井寺の観音様へお参りにと表坂を登っておりました。ところが、運悪く途中で草履の鼻緒が切れてしまい難儀しておりました。

その姿を見兼ねて、鼻緒をすげ替えてくれたのが、和歌川の河口を挟んで紀三井寺の真向かいにある玉津島神社の宮司の娘さん“おかよ”でした。この出来事がきっかけとなって、やがて文吉とおかよの間に恋が芽生え、そして二人は結婚することになりました。その後、文吉は宮司からの支援によって船を仕立て、紀州みかんや塩鮭、材木などを江戸へ運び込み、販売して大成功をおさめました。

玉津島神社の参道
玉津島神社の参道

この有名な紀ノ国屋文左衛門の出世物語によって、紀三井寺の表坂は「結縁坂」と呼ばれるようになり、今でも良縁成就を願い、手に手を取って参拝するカップルで賑わっているとのことです。

世は人生100年時代、「お前百までわしゃ九十九まで」。夫婦で仲睦まじく、ともに長生きができるようにお参りしてみてはいかがでしょうか?

手を繋いで参拝される、仲睦ましい高齢のカップルの後ろ姿
手を繋いで参拝される、仲睦まじい高齢のカップルの後ろ姿

所在地・アクセス

□紀三井寺
住 所:和歌山県和歌山市紀三井寺1201
鉄 道:紀勢本線 紀三井寺駅下車、徒歩約10分
自動車:阪和自動車道 和歌山ICより約30分ほど
https://www.kimiidera.com

取材・動画・撮影/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
ナレーション/小菅きらら
京都メディアライン:https://kyotomedialine.com Facebook

 


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