その昔、彦根あたりで“近鉄”(おうてつ)と呼ばれていた近江鉄道。開業は近鉄(近畿日本鉄道)よりも古く、1898年(明治31)の彦根〜愛知川間開業にさかのぼる。
その由来は、東京と大阪を連絡する官営鉄道・東海道線が琵琶湖南岸を一直線に建設されたため、とり残された中山道の宿場をつなぐ私設鉄道として誕生した。
このあたりは新宿〜八王子間を短絡した甲武鉄道(現在のJR中央線)と、鉄道の恩恵にあずかれなかった府中や調布などの甲州街道の町々に沿って建設された京王電鉄の関係に似ている。
赤瓦にマンサード(腰折れ屋根)を持つ洋館建築の鳥居本駅も、そんな近江鉄道の宿場町にある。
1931年(昭和6)の近江鉄道彦根〜米原間の開業とともに置かれた鳥居本駅の駅舎は、印象的な玄関の屋根と四角い煙突がまるで童話の世界のようなムードを醸し出す。
さらに待合室天井には、ハンマービームと呼ばれる西洋風の小屋組を露出させて空間を確保し、半円形の窓とあい余って、西日の差す午後には、駅舎というより教会の講堂のような雰囲気になる。
地方私鉄の常で、鉄道利用は通学生が大半を占めるが、青春時代の原風景がこんな洋館駅舎で彩られるなんて、鳥居本の通学生は幸せだと思う。
駅前には、江戸から見て中山道六十三次にあたる鳥居本の宿場が伸び、歴史的な街並みが続いている。
江戸時代、伊吹山の薬草をつかった製薬業と、特産の油紙による雨合羽の生産とで栄えた宿場町で、近江鉄道延伸の際は地元の請願によって鳥居本駅が置かれたという。つまり地元負担でできた駅なのだ。
駅の近くには、滋賀県を本拠にして活躍した建築家ウイリアム・メレル・ヴォーリズ設計の瀟洒な洋館も見られ、この地がかなり豊かだったことを物語っている。
近江鉄道沿線には、このような姿の洋館駅舎は少なく、「鳥居本旦那衆」の審美眼を伝える名駅舎といっていいだろう。
現在は無人化されているが、駅舎を利用してコンサートも開催され、鳥居本のシンボルにもなっていると聞く。
ちなみに、鳥居本駅と隣の彦根駅との間には小高い山がそびえているが、その頂にあった佐和山城は、関ヶ原の戦いを主導した石田三成の居城だったところだ。
関が原合戦の後、領地は井伊氏に引き継がれたが、佐和山城はあらたに築城された彦根城建築の際にとり壊されたという。
幕末、雪の桜田門外で水戸浪士の襲撃で落命した井伊直弼はこの彦根藩主だったが、浪士たちが着用していた雨合羽は鳥居本のものだったという。
ともあれ、鳥居本駅を出た彦根方面行の電車は、佐和山城の下を単線トンネルでゴトゴトと通過していく。
【近江鉄道本線 鳥居本駅】
■所在地:滋賀県彦根市鳥居本町647
■開業年月日: 1931年(昭和6年)3月15日
■アクセス:米原駅から近江鉄道本線 各停で7分
写真・文/杉﨑行恭
乗り物ジャンルのフォトライターとして時刻表や旅行雑誌を中心に活動。『百駅停車』(新潮社)『絶滅危惧駅舎』(二見書房)『異形のステーション』(交通新聞社)など駅関連の著作多数。