文・写真/杉﨑行恭(フォトライター)
JR青梅線に乗って終着の奥多摩駅を訪ねた。この青梅線は多摩川に沿って東京西部の山に分け入る路線で、青梅駅から先は4両編成になり、蛇行する多摩川に沿ってカーブが連続する渓谷鉄道になる。スピードはのろいけど、ぐんぐん登り詰める感じは平地の鉄道にはない感覚だ。
初夏の休日、乗客のほとんどが山歩きの格好をしていた。
奥多摩駅のホームは一段高い場所にあって、しかも大きくカーブしていた。地下通路を下って改札口を出ると、そこはクラシックホテルのような駅舎の中だった。
外に出てみれば、高々と軒を掲げたヨーロッパ調のロッジスタイル、背の高い見事なプロポーションだ。玄関の車寄せの柱や窓の手すりにも丸太を使い、遊び心のある丸窓がアクセントになっている。良き時代の山小屋山を思わせる駅舎だ。
最初にこの駅に来たのは20年以上も前、その頃は駅頭に一本のアカシアが茂り、小さなそば屋が木によりかかるようにして店開きしていた。いつの頃からかアカシアもそば屋も消え、その場所には「熊に注意」の看板が立てられていた。
駅前には古いバスターミナルがあり、日原鍾乳洞や小河内ダムへのバスも発着する。ここだけは昭和の風景が残る。
駅から国道411号に出た。橋から川を見下ろすとブルーグリーンの清流が見えた。しばらく歩いて対岸から奥多摩駅を見れば、ホームも駅舎も、町全体が渓谷の斜面にへばりついていた。
ところが、この駅舎(当初は氷川駅)が完成したのは太平洋戦争末期の昭和19年のこと。すでに国内では戦時特例が施行され、すべての食堂車や寝台車は廃止され、証明書がなければ100㎞以上のきっぷは買えなかった。
時はまさに非常時だった。そのころ、この青梅線を建設していたのが奥多摩電気鉄道で、多摩川上流域の電源開発や石灰石採掘が目的だった。
しかし、沿線には御嶽駅や鳩ノ巣駅など、産業鉄道では考えられないような凝った駅舎が建てられた。おそらく、奥多摩渓谷が将来観光地になることを見越していたのだろう。しかし鉄道が完成したところで国有化されてしまう。
現在奥多摩駅舎の二階にはアウトドア用品のショップ兼カフェになっていて、窓際の席からホームがよく見えた。
土曜・休日には東京駅から奥多摩駅まで乗り入れる『ホリデー快速おくたま』が運転される。
ちなみに東京駅は標高3m、奥多摩駅は東京都内最高所駅の342mだ。このため「気温は都心から10度も低い」と駅構内の観光協会売店の売り子さん。夏、手っ取り早く涼むにはいいところだと思った。
【訪ねてみたい名駅舎】
『奥多摩駅』(JR東日本 青梅線)
■ホーム:1面2線
■所在地: 東京都西多摩郡奥多摩町氷川210
■駅開業:1944年(昭和19年)7月1日
■アクセス:東京駅から青梅駅乗り換えで約2時間
文・写真/杉﨑行恭
乗り物ジャンルのフォトライターとして時刻表や旅行雑誌を中心に活動。『百駅停車』(新潮社)『絶滅危惧駅舎』(二見書房)『異形のステーション』(交通新聞社)など駅関連の著作多数。