文・写真/原田慶子(海外書き人クラブ/ペルー在住ライター)

ドイツの巨匠ヴェルナー・ヘルツォーク監督による1982年制作の映画「フィツカラルド」。ペルー・アマゾンの街イキトスにオペラハウスを建設するため、アマゾン河上流の未開の地にゴム園を開拓しようと目論んだ希代のオペラ狂の物語だ。同年のカンヌ映画祭監督賞を受賞した壮大なスペクタクル・ロマン。その撮影拠点となったイキトスを散策しながら、フィツカラルドの世界をご案内しよう。

*  *  *

アマゾン河の支流イタヤ川の左岸に広がるイキトスは、商業とアマゾン観光で賑わうペルーのアマゾンエリア最大の街。アクセスは空路か航路のみで、“世界最大の陸の孤島”としても有名だ。

イタヤ川の堤防沿いに延びる遊歩道。アマゾンの日差しは強烈だが水面を渡る風は意外と涼しく、木陰は想像以上に心地よい。

1839年にアメリカでゴムの加硫法が発明されたことから、天然ゴムの需要が急増した。中でも最高級とされたのがアマゾンに育つパラゴムノキの樹液(ラテックス)だ。イギリスをはじめとするヨーロッパの商人たちがブラジルのマナウスやベレン、そしてペルーのイキトスへ大挙して押し寄せた。彼らはアマゾン先住民を使って採取したラテックスをヨーロッパへ輸出し、巨万の富を築いていく。この1880年代から1910年代前半にかけてアマゾンエリアを沸かせた好況が、いわゆる「ゴム景気」だ。映画「フィツカラルド」はこの時代を背景に製作された。

映画の主人公は、イキトスに暮らすアイルランド出身のブライアン・スウィーニー・フィッツジェラルド。先住民にはフィッツジェラルドという発音が難しく、現地では「フィツカラルド」と呼ばれていた。熱狂的なオペラファンであったフィツカラルドは、イキトスに本格的なオペラハウスを建設しようと目論む。イキトスで娼館を営むモリーに出資を乞い、アマゾン河の上流にあるウカヤリの土地取得権と一隻の蒸気船を入手。しかしそこは航行不能な急流の先に位置する上に、首狩り族が暮らす危険なエリアでもあった。

フィツカラルド役の奇才クラウス・キンスキーの気迫あふれる演技については、ぜひ映画でご覧いただきたい。

イキトスの街には、ゴム時代の繁栄を偲ばせる建物がいくつか残っている。その代表が「旧パレスホテル」だ。ペルー初の高級ホテルとして、1908年から4年の歳月をかけて建設された。外壁を覆う見事な装飾用タイルは、スペインのマラガ産のもの。その他の装飾素材もすべてヨーロッパから運ばれてきたものである。

アールヌーヴォー様式が美しい「旧パレスホテル」。現在はペルー陸軍の本部として使用されている。

「鉄の家」も見逃せない。1890年完成のこの建物は、当時の最高級素材のひとつである錬鉄を使ったアメリカ大陸初のプレハブ住宅。デザインはエッフェル塔でお馴染みの、あのギュスターブ・エッフェルだ。社交場や文化交流の場として人々に愛された。

イキトスの街並みを見学した後は、映画にまつわる場所で一休み。遊歩道沿いにある「レストラン・フィツカラルド」には、撮影に使われた蒸気船「モリー・アイーダ号」の舵や船首像、映画のポスターやスチル写真などが多数展示されている。

明るく開放的な造りの「レストラン・フィツカラルド」。ゴム景気時代に建設された建物は総じて天井が高く、風通しが良いのが特徴だ。

「レストラン・フィツカラルド」ではワニ肉の串焼きや、ヤシの木の芯“チョンタ”を使ったハンバーガーなど、アマゾンらしいメニューを味わうことができる。

【レストラン・フィツカラルド】
住所:Calle Napo 100, Iquitos

一方、ヴェルナー・ヘルツォーク監督を始めとするメインキャストが宿泊していたのは、ホテル「ラ・カサ・フィツカラルド」。イキトス市内にありながらアマゾンの自然を満喫できる宿として、観光客の人気を集めている。

ミック・ジャガー(あまりの長期ロケでスケジュールが合わず、残念ながら途中で降板)や、クラウディア・カルディナーレ(娼館の女主人モリー役)らも泊まったという「ラ・カサ・フィツカラルド」。ここにもたくさんのスチル写真が飾られていた。

映画「フィツカラルド」の撮影は、当初からトラブル続きだったことで有名だ。主役に選ばれた俳優たちがジャングルでのロケに対する不満や、重度の赤痢を発症したことから次々降板。最終的に抜擢されたのがクラウス・キンスキーだった。その後も映画のセットが焼かれたり歴史的な渇水で船が座礁するなどして、撮影は何度も中断されたという。撮影開始前のひとときを、ラ・カサ・フィツカラルドでのんびり過ごしたであろうキャストたち。その穏やかな日々の後にあれほど過酷なロケが待っていようとは、誰も想像しえなかったに違いない。

【ラ・カサ・フィツカラルド】
住所:Av. La Marina 2153, Iquitos

さて、映画に登場した蒸気船「モリー・アイーダ号」を彷彿とさせる船が、博物館として一般公開されている。それが「アヤプア旧客船歴史博物館」だ。1906年建造のこの船は全長33m、ヴィクトリア調に設えられた客室を利用して、ゴム栽培の様子やカウチェロたちの豪奢な暮らしを紹介している。

イタヤ川の護岸に係留された「アヤプア旧客船歴史博物館」。

映画には300トンを超える蒸気船が“本当に”山を越える名シーンがある。アヤプア旧客船歴史博物館を訪れた後に改めて見ると、その撮影がいかに困難であったか実感できるだろう。ヘルツォーク監督の執念には驚くばかりだ。

最後にご紹介しておきたいのが、イキトス市内にある墓地「セメンテリオ・ヘネラル」だ。ここには映画「フィツカラルド」のモデルとなったペルー人カウチェロ(ゴム商人)、カルロス・フェルミン・フィツカラルドが眠っている。ペルー南部のマードレ・デ・ディオスに未曾有のゴム資源があることは以前から知られていたが、そのアクセスの難しさから多くの冒険者が命を落としていた。そんな中、カルロスはプルス川とウカヤリ川が最も接近する地峡を発見。1894年、蒸気船をいったん解体してその難関を超え、再び造船して航行を続けることに成功した人物だ。ただカルロスがオペラ好きだったという情報はなく、その点は完全にヘルツォーク監督による脚色のようだ。

1897年7月、カルロスを乗せた船がウルバンバ川で難破。この墓は彼の友人らによって建てられたものだ。訪問時、カルロスの墓には小さな花が添えられていた。

2人のフィツカラルドの無謀ともいえる壮大な計画を可能たらしめたのは、一体何だったのだろう。その背景にあるゴム景気時代の繁栄ぶりや高揚感に思いを馳せつつ、イキトスをのんびりと散策するのも悪くない。

イキトスへのアクセス
リマからイキトスまで飛行機で1時間45分。

文・写真/原田慶子(海外書き人クラブ・ペルー在住)
2006年よりペルー・リマ在住。『地球の歩き方』(ダイヤモンドビッグ社)や『トリコガイド』(エイ出版社)のペルー取材・撮影を始め、数々の媒体やサイトにペルー旅行情報を執筆。海外書き人クラブ(http://www.kaigaikakibito.com/)所属。

 

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