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文・写真/原田慶子(海外書き人クラブ/ペルー在住ライター)

1996年12月17日にペルーの首都リマで発生した『在ペルー日本大使公邸占拠事件』。ペルー左翼テロ組織トゥパク・アマル革命運動(MRTA)に捕らえられた人質72人を救出するため、フジモリ大統領(当時)はリマ市南部に大使公邸と寸分たがわぬレプリカを造らせ、救出作戦に向けた極秘訓練を行った。作戦名は“オペレーション・チャビン・デ・ワンタル”、訓練に使われた公邸のレプリカは現在『チャビン・デ・ワンタル英雄博物館』(以下:チャビン・デ・ワンタル博物館)として一般に公開されている。

「世界で最も成功した救出作戦」を称える博物館

リマ市チョリージョス区にある軍施設の一角に立つチャビン・デ・ワンタル博物館は、レプリカながら一国の大使公邸に相応しい瀟洒なたたずまいを見せている。誰でも見学できるが、現役兵士が館内を案内するシステムのため事前予約が必要だ。

「皆さま、チャビン・デ・ワンタル博物館へようこそおいで下さいました。本日はペルー陸軍所属のわたくしカルヤワンキが、“チャビン・デ・ワンタル”という世界で最も成功した救出作戦についてご説明いたします」この日私と友人を案内してくれた女性兵士は、はきはきとした声でこう切り出した。

チャビン・デ・ワンタル博物館の正面玄関。両脇には救出作戦で命を落とした特殊部隊2人の胸像が飾られている
ガイドを務めてくれたニコル・マルシャ・カルワヤンキさん

「1996年12月17日、天皇陛下誕生祝賀パーティーが青木大使(当時)の公邸で行われました。午後8時30分、14人のテロリストが裏庭から公邸を急襲し、500人以上もの人質をとって立てこもりました」

同じセリフを幾度も繰り返しているのだろう、カルワヤンキさんの解説にはよどみがない。日本で報道されている情報と異なる部分もあったが、ここは異を唱えず彼女の言葉に耳を傾けることにした。

最初に通されたのは、公邸の1階にある食堂だ。床には大きな穴があり、天井も一部崩れ、銃弾の後が無数に残っている。食堂と隣接するホールや、その奥にある図書室の床にも穴が開いていた。これらは特殊部隊が訓練として実際にTNT爆弾を使った痕である。午後3時から3時半までの間、MRTAメンバーの大半が公邸内のホールでサッカーに興じていることを作戦本部は事前に把握していた。また、MRTAの指導者ネストル・セルパが1日を主に図書室で過ごしていることも知っていた。人質がいる2階の床を崩さず、かつMRTAメンバーを一掃するに足りる火薬量を計算した作戦本部はこのレプリカで威力を実証、本番ではそれぞれの部屋に4キロのTNT爆弾を仕掛けた。

実際の作戦では、ホールでサッカーをしていたMRTAメンバーのほとんどがこのTNT爆弾によって即死したという

「公邸を占拠した後、テロリストのリーダー、ネストル・セルパは最初の人質解放を行いました。しかし彼らはその中にフジモリ大統領の妻(※母の誤り)や姉がいたことには気づかず、大きな失態を犯しました。フジモリ大統領はその後すぐ、公邸内の電気や水道などのライフラインをすべて遮断しました。セルパからライフラインの復旧を迫られたペルー政府は、技師に成りすました工作員を送り込み、修復作業を装いながら館内の至る所に盗聴器を仕掛けました。このおかげでペルー政府は事件当初からテロリストの動きを正確に把握することができたのです」

図書室の壁に掲げられたMRTAメンバーの写真

セルパらは当初「ペルー政府の経済政策の変更」「捕らえられている他のMRTAメンバーの釈放」「犯行グループ及び捕らえられている他のMRTAメンバーの中央アマゾン地域への移動」「戦争税の支払い」の4点を要求、のちにメンバーの釈放のみに固執し要求を続けたという(日本外務省公式発表)。しかしカルワヤンキさんの説明では、「驚くほどの大金と刑務所に収監されている仲間の釈放、そしてその仲間たちとの海外逃亡」に変わっていた。

人質たちが127日間過ごした公邸2階

2階には、人質たちが数人ずつ幽閉されていた部屋のレプリカが並んでいる。各部屋には識別用の文字が冠され、“A室”と“B室”にはペルー国軍や警察の指揮官クラスが、“D室”には青木大使やフジモリ大統領の兄弟であるペドロ・フジモリ氏などがいた。

“D室”に閉じ込められた人質たち。博物館のオープンに際し、自身の肖像写真の掲載を拒否した人もいる
祝賀パーティー時に撮影された青木大使と夫人の写真

博物館内には、作戦終了後現場から押収したMRTAの武器や所持品、行動マニュアルなども展示されていた。リーダーのセルパはこの時44歳、メンバーの多くは19歳から21歳の若者だという。彼らのほとんどはアンデスの寒村出身で、成功報酬と引き換えに参加した即席のテロリスト集団だった。

人質が捕らわれていた部屋の様子や救出作戦時の突入ルート、MRTAの武装内容などを説明するパネル
「家族からのプレゼント」と称して人質に贈られたギターと聖書。これらの中にも通信機などが仕込まれていた
中央にあるのが、救出作戦成功後に撮影された特殊部隊146人の集合写真。作戦開始時には148人だったが、フアン・バレル・サンドバル中佐(左写真)とラウル・ヒメネス中尉(右写真)の2人が殉職している

ペルー軍管轄の博物館だけあって、サンドバル中佐とヒメネス中尉の扱いは別格だった。生前の写真や遺品、自筆の手紙と共に両名の武勇を称える展示室が個別に設けられ、カルワヤンキさんも彼らの最期を詳細に語ってくれた。ペルーの軍人にとって、この2人はまさにヒーローなのだ。

「(作戦の)翌日」と題した当時のラ・レプブリカ紙の一面。2階へと続く螺旋階段上のフジモリ大統領。その視線の先には、殺害されたMRTAメンバーの上にあおむけの状態で重なるネストル・セルパの屍が写っている

45日間で完成した地下トンネル

館内では、救出作戦の要であったトンネルの内部も見学できる。トンネルの全長は197m、高さは2mで入り口は1か所、出口は4か所ある。作戦名の「チャビン・デ・ワンタル」は、複雑な地下通路で有名なペルーの世界遺産、チャビン・デ・ワンタル遺跡に由来している。

ペルーアンデスの鉱山の町、セロ・デ・パスコから呼び寄せた32人の鉱山労働者を使い、わずか45日間で完成させたという作戦用の地下トンネル。MRTAに気づかれないよう手作業だけで掘られたという
トンネル内に設置された作戦本部
強行突入に使われた出口

別室で当時の事件をまとめたビデオを見て、館内の見学は終了した。ペルー軍特殊部隊の強行突入により71人が救出された一方、人質1人と特殊部隊2人、テロリスト14人の死亡という痛ましい形で幕を閉じた『在ペルー日本大使公邸占拠事件』。毎年4月22日には大統領がこの博物館を訪れ、作戦の成功と2人の英雄を称える記念式典が開催される。

■Museo Héroes de Chavin de Huantar/チャビン・デ・ワンタル英雄博物館(通称:チャビン・デ・ワンタル博物館)
住所:Av. Las Palmas S/N, Chorrillos, Lima
電話:01-252-3541
開館時間:9:00~16:00(月曜休館)
ウェブサイト:www.realfelipe.com/museos-relacionados/museo-chavin-de-huantar

文・写真/原田慶子(ペルー在住ライター)
2006年よりペルー・リマ在住。『地球の歩き方』(ダイヤモンドビッグ社)や『トリコガイド』(エイ出版社)のペルー取材・撮影を始め、ラジオ番組やウェブマガジンなど多くの媒体でペルーの魅力を紹介。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/

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