文・写真/御影実(オーストリア在住ライター/海外書き人クラブ)

古くは先史時代から人が住み着き、ローマ軍が軍事拠点を築き、中世をたくましく生き抜き、ハプスブルク帝国の栄華に輝いた、かつての大帝国の首都ウィーン。そのウィーンのど真ん中にあるのが、シュテファン大聖堂です。シュテファン大聖堂12世紀に建設が始まってから、数々の改築を重ね、ロマネスク様式、ゴシック様式、バロック様式とさまざまな建築様式が混在する、ウィーンの街のシンボル。モーツァルトが、結婚式と子供二人の洗礼式と、葬式を行ったこの大聖堂には、悪魔伝説や巨人の骨、ナチス抵抗の歴史、焼失した屋根など、数えきれないほどの伝説や謎、物語が隠されています。

●塔はなぜ一本しかない? 悪魔伝説の呪い

多くのヨーロッパの大聖堂には尖塔が二本ありますが、シュテファン大聖堂にはなぜか、塔が一本しかありません。その裏には、ウィーン子ならだれもが知る、こんな悪魔伝説がありました。

75年かけたシュテファン大聖堂の南塔が15世紀に完成し、北塔の建設が始まりましたが、建築責任者は、工事の遅れに頭を悩ませていました。そんな時、悪魔が目の前に現れ、「塔が早く完成するよう力を貸してやろう。その代わり、神や聖母マリアの名を口にしてはいけない」と取引を持ち掛けます。

この取引を受け、工事は驚くほど速く進みます。ある日この男が塔に登って出来具合を確認していると、眼下に婚約者が通りかかりました。彼女の名前を「マリア!」と呼んだ瞬間、彼は、悪魔との取引を破ったことになり、塔から落ちて死んでしまいます。

それ以来、シュテファン大聖堂の北塔は未完成のまま、塔が一本の大聖堂となったというわけです。現在では、未完の塔の上に、緑色のクーポラが作られています。

●巨人の骨はマンモスだった?

シュテファン大聖堂の入り口の門は、「巨人の門」と呼ばれています。その不思議な名の由来は、考古学的勘違いにあります。シュテファン大聖堂

中世後期の1443年、ここで長さ86cmもある巨大な骨が発掘されました。ウィーンの人々は、これを巨人の骨だと信じ、当時の皇帝フリードリヒ三世に献上します。この骨は、18世紀半ばごろまで、実に300年もの間大聖堂の入り口にかけられ、この門はこの骨にちなんで、「巨人の門」と呼ばれていました。

現在はこの骨は、ここで発掘されたマンモスの骨だとわかっており、ウィーン大学の地質学研究所に所蔵されています。マンモスを知らない中世の人達が、巨人の骨と勘違いするのも、無理はないですね。

●ファサードに刻まれた反ナチスの暗号

シュテファン大聖堂のファサードの右には、O5の文字が刻まれています。これは、ナチスに抵抗したオーストリア人による暗号で、愛国の印です。ファサードの右には、O5の文字

第二次世界大戦中、ナチスドイツに併合されたオーストリア。そんな中、ナチスに抵抗した学生団がいました。この学生団の名前は、オーストリアの国名Österreichにちなんだものですが、頭文字Ö(Oにウムラウト)や代替表記OEをそのままだと、すぐに反ナチスの組織だとばれてしまいます。そのため、アルファベットの5番目であるEを5と置き換え、数字の05に見えるように表記しました。

ナチス下のウィーンでは、いつのまにか国のシンボルの大聖堂のファサードに、オーストリアの国を表す「05」が落書きされ、国民の士気を支えました。現在では、文字は彫りこまれ、ガラスのプレートに守られ、オーストリアの自由のため犠牲になった学生団や、国民の愛国心の象徴となっています。

●屋根の焼失と悲願の復活

パリのノートルダム大聖堂の火災は記憶に新しいですが、12世紀からの歴史あるシュテファン大聖堂も、第二次世界大戦で一度屋根が焼け落ち、修復されたことは、あまり知られていません。シュテファン大聖堂

戦争中、無傷を保っていたことが奇跡と言われていたシュテファン大聖堂ですが、1945年4月11日、連合軍が侵攻してきたころ、とうとう火が出ます。大聖堂周辺の建物からの延焼とされていますが、一か月前の米軍の空襲で水道が破壊されていたため、消火活動ができず、15世紀に作られた木造の屋根を支える構造体に、どんどん火は広がっていきます。

屋根と天井のアーチは焼け落ち、プンメルンと呼ばれる巨大な鐘も落下して粉々になり、パイプオルガンは熱風で音を立てながら壊れていきました。7世紀もの年月を経た歴史ある建造物が、ガラガラと音を立てて崩れていくのを、市民はなすすべもなく見守るしかありませんでした。

戦後の混乱の中、2週間後には後片付けが始まります。幸い、内部にあった美術品や宝物は、早い段階で地下などに避難されていて、無事でした。

しかし、戦後の復興の中、大聖堂修復の資金集めは難航します。当時の司祭が、国中回って寄付を募り、国内の各州が、それぞれ重要な部分を協力して再建することとなりました。ある州は石の床、別の州は窓や扉、砕け散った鐘の破片を集め、鋳造しなおした州もありました。こうやって、この大聖堂はオーストリア全域からの寄付で修復が行われました。シュテファン大聖堂

最も重要な天井の再建は、ウィーン市が担いました。屋根の修復資金には、多くの個人の寄付金が集まりましたが、その資金集めの方法がユニークでした。「大聖堂建設宝くじ」や「大聖堂記念切手」が販売されただけでなく、「屋根瓦キャンペーン」では、屋根瓦一枚5シリング(約50円)から寄付ができました。市民の協力により、約2億円の寄付が集まり、国家予算や税金を投入する必要はなかったそうです。

この再建工事の結果、屋根を支える構造体は、耐火、重量軽減の他、臨時の屋根や足場としての機能を持たせるため、鉄筋コンクリートとなりました。カラフルな屋根瓦は、できるだけオリジナルに近くなるよう再建され、現在でも美しい姿を保っています。カラフルな屋根瓦

* * *

900年近い歴史を誇る、オーストリア最大の教会建築、シュテファン大聖堂。今回ご紹介したのは、その伝説のほんの一部ですが、この大聖堂が中世から現在に至るまで、この国にとって重要な役割を果たし、愛されてきた歴史があります。

ただ訪れるだけでなく、大聖堂の歴史と物語を知り、謎の答えを知ると、さらにその建築物の奥の深さに驚かされます。悪魔伝説の残る北塔を再建せず、そのままの姿で建っていること、大聖堂の屋根一枚一枚が市民の寄付で成り立っていることなど、ウィーン人のこだわりや思い入れを象徴するような、まさに国のシンボルにふさわしい大聖堂です。

文・写真/御影実
オーストリア・ウィーン在住フォトライター。世界45カ国を旅し、『るるぶ』『ララチッタ』(JTB出版社)、阪急交通社など、数々の旅行メディアにオーストリアの情報を提供、寄稿。海外書き人クラブ(http://www.kaigaikakibito.com/)会員。

 

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