文・写真/横山忠道(海外書き人クラブ/タイ在住ライター)
温和で親しみやすい国民性から「微笑みの国」と呼ばれるタイは、日常のストレスから解放されて癒しを求めに訪れる外国人で賑わっている。しかし住人であるタイ人自身も、近年は「心の病」を抱えて微笑みを失いかけている人が急増している。タイ・チェンマイでは、そんな疲れた心をケアするための「瞑想修行」プログラムを提供するお寺が増えている。その実践法は「ヴィパッサナー瞑想」というお釈迦さまの教えに忠実に従ったもので、上座仏教(スリランカ経由で東南アジアに伝播した南伝仏教)の僧によって古くから受け継がれてきた。
かく言う筆者も、最近は心に余裕がないと感じていた折でもあり、知人が瞑想ならここに限る!とイチ押しのチェンマイ郊外にある古刹で瞑想修行にチャレンジしてみた。
■街の喧噪を離れ、静寂に満ちた美しいお寺で瞑想修行
北部タイの中核都市チェンマイは仏教寺院が無数に点在しており、観光客が瞑想修行に参加できる寺院も少なくない。市街地からクルマで10分ほど西方に向かったあたりにひっそりと建つ「ワット・ラムプーン」は500年以上もの歴史をもつ古刹だが、国籍・宗教問わず参加できる「瞑想修行コース」を提供している。
なにしろここは環境がすばらしい。繁華な市街地とは打って変わって静謐で風光明媚な場所にあり、ここに着いただけで心が洗われたような気がする。
修行は合宿形式で行い、日数は本人次第なので数日間でも構わない。中には数ケ月にわたって滞在する人もいるようだが、筆者は寺務所から「最低限」と言われた「3日間」の修行を行うこととした。
■「白衣」をまとい、「身ひとつ」となって修行スタート
修行初日、早朝にお寺を訪れ、寺務所に「携帯電話・スマホ」「音楽プレーヤー」はもちろん「本(仏教書含む)」「メモ帳」など全て預けなくてはいけない。世俗のあらゆる束縛を断ち切り、まさに「身ひとつ」で入門するのだ。一時的とはいえ、日常の仕事・交友関係・情報の全てから隔絶した環境に身を置くのは、物心ついたときから初めてではないだろうか。
服装は全身質素な生地の「白衣」と指定されており、肌着まで白で統一する。
まず、オープニングセレモニーで修行法について指導がある。外国人には当寺の高僧が英語で説明してくれるが、事前にウェブサイト(英文ページ)を読んでおけば、理解に困ることはないだろう。
ざっと数えて50~60人ほどのタイ人と、30人の外国人が修行をしている。外国人はアジア系(中国・台湾など)と欧米人がちょうど半々だった。
そこからは、高僧の指導に従って「独り」となって自分自身と向き合う時間となる。広い境内のどの場所で瞑想しても構わない。ちょうど乾季(寒季)に入った時期であり、熱帯に位置するタイとはいえ屋外でも過ごしやすく、これなら修行に集中できるだろう。
修行者はそれぞれ好む場所と方法で瞑想を行っているが、修行者どうしで会話することはできない。目を合わせたり目礼することも許されない。このルールは徹底されていて、提供される居室(3人部屋)の中でも一切コミュニケーションができないので、同室の欧米人が何歳でどの国から来たのかすら、最後までわからなかった。
■「雑念」「睡魔」との戦いに終始した瞑想修行初日
一日のタイムテーブルは、いたってシンプルである。
・4:00:起床
・6:00:朝食
・10:30:昼食
・午後:高僧への報告(時間は各自指定される。約10分程度)
・22:00:就寝
食事は上座仏教の戒律に従い、正午以降は摂ることはできない(水分は可)。食前に声明(しょうみょう)を唱えるが、これ以外の時間はひたすら自分自身と向き合う「瞑想」に明け暮れるのだ。
最初に取り組むのは「歩く瞑想」。やり方は単純明快で、足の感覚に意識を集中し、一歩一歩、ゆっくりと歩を進めながら、自己の内面をありのままに見つめるのだ。言葉で表現するのは容易だが、実践は予想していた以上に難しい。無心であろうとすればするほど、次から次へと「雑念」が湧いてくるのだ。スマホを事務所に預けてしまったが、急な仕事のメールが入ってないだろうか・・・? 家族は何をしているだろうか・・・? そもそも瞑想修行なんて効果があるのだろうか・・・?
タイマーをセットし、最初は「5分」から始めて、慣れるに従って「10分」「15分」と伸ばしていくのだが、わずか1分でも心の平静を保つことは至難だ。いかに自分が日常で心の余裕を失っているかを、午前の修行だけで痛感してしまった。
つづいて「坐る瞑想」を行うと、動作がないこともあって雑念がさらに入りこみやすく、自分の過去の失敗とかそれに対する悔恨など、考えなくていいことまで次々と浮かんでくる。さらに、昼食後には猛烈な「睡魔」が襲ってくるのには参った。正午以降は食事できないからと、つい多めに食べたのが失敗だった。瞑想に疲れたら休息してもよいのだが、就寝時刻の10時までは仮眠したり、早めに就寝することも認められない。初日は結局「雑念」と「睡魔」との戦いに終始してしまった。
■高僧からアドバイスを受け、瞑想効果が徐々に現れる
午後に瞑想体験を高僧に報告する時間があり、雑念ばかりで集中できないと相談したところ、あえて無心となるよう心をコントロールするのでなく、雑念が浮かんできたらそれを冷静かつ客観的に観察するのだという。なるほど、実際にやってみると、雑念によって感情が乱れてくると呼吸も早く浅くなり、表情が険しくなっているのに気づくようになった。繰り返しているうち、ストレスとは外界からの刺激ではなく、ほかでもない自分自身が生み出しているのだということが、徐々にわかってきた。
二日目の午後になって、ようやく雑念によってイライラすることが少なくなり、歩く瞑想でも足の感覚に集中することを実践できるようになった気がする。いま足が床から離れた・・・足が十分な高さまで上がって・・・足が床について・・・床の冷たさが伝わってきた・・・
「歩く瞑想」の絶好のお手本が本堂前にお立ちになっている「遊行仏」だ。北部タイでは各所で見られる仏像の典型的モチーフである。修行者の中でも熟練した方は、この遊行仏と似たしなやかな美しさをたたえており、比べてみると自分の歩行はまだまだ機械的で、無駄な力が入りまくっているようだ。
■北部タイの自然の美しさを、ありのままに実感する
三日目になると、ようやく五感が研ぎ澄まされ、自身や周囲で起こっていることを素直に受け入れることができるようになる。このお寺に着いたときにも境内の風景の美しさを感じていたはずだが、それは無意識に「カメラのファインダー越しの構図」に収めてはいなかっただろうか? ありのままの木々の鮮やかさ、空の澄み切った青さ、お寺の造形物の荘厳さは、カメラやスマホの呪縛から解放されたとき、はじめて五感にダイレクトに伝わってくるのだ。
■受講料は無料。全て寄付金で運営される
わずか三日間ではあったが、社会との関わりを絶ち、ひたすら自分自身と向き合うことは、大変得難い経験であった。
この瞑想修行コース、なんと受講料は無料だ。もし金品を寄進したければ、毎朝7時の「托鉢」のときにお坊さまにお渡しするか、帰り際に寺務所で「寄付金」を受け付けている。義務ではないし金額の相場など設けていないので、いくらお納めするかは本人次第だ。
日本にお住まいの方にも、ぜひ、この瞑想修行コースをおすすめしたい。タイにわざわざ来て観光もせずお寺籠りなんて・・・と思われるかも知れないが、この寺のすぐ西側には名刹ドイ・ステープ寺院を擁するステープ山を望み、自然あふれる美しい風景に囲まれた好立地だ。夜にはトッケーという大型ヤモリの鳴き声が聞こえてきて、長い夜を風雅な気分の中で過ごせる。観光地を忙しく周遊するだけでは味わえない、「北部タイの醍醐味」を体感できるのではないだろうか。
●ワット・ラムプーンについて
所在地:1 M.5 T.Suthep Muang Chiangmai 50200
電話:+66-53-278620/+66-53-810180 Ext. 0 (英語可/7:00~17:00)
Eメール:watrampoeng@hotmail.com
ウェブサイト:http://www.watrampoeng.com/
アクセス:チェンマイ大学裏門通り(ステープ通り)からワット・ウモーンに通じる小道(ソイ・ワット・ウモーン)を南下し、ワット・ウモーン門前を左折⇒右折。そこからさらに約1.2キロ南下した左側。
●注:瞑想修行は2018年10月に行い、写真は11月の再取材時に撮影したもの。
文・写真/横山忠道(海外書き人クラブ・タイ在住ライター)
2004年に日タイ政府間合弁技術者育成事業に従事したのを端緒とし、その後一貫して日タイを繋ぐ活動に専念。2014年にチェンマイ移住。リサーチ・分析スキルを持ち味とした執筆活動を続ける。 海外書き人クラブ(http://www.kaigaikakibito.com/)所属。