文・写真/長谷川律佳(海外書き人クラブ/メキシコシティ在住ライター)
ローマ、という地名を聞いてぱっと思い浮かぶのはイタリア。そういう人が大半だろう。だが今回ご紹介するのはメキシコシティ中心部に位置する「ローマ地区」のことである。2019年アカデミー賞最多の10部門でノミネート、うち、監督賞をはじめ3部門で栄冠を勝ち取った映画のタイトルでもあった、と聞けば「そういえば」と思う方もいるかもしれない。
映画「ローマ」はアルフォンソ・キュアロン監督の幼少時代をベースに、1970年代のメキシコをモノクロの映像で描いたノスタルジックな作品だが、さて2010年代のローマは一体どんな街なのだろうか。
ローマ地区、その歴史
現在、この地区はレストランやバーを多く擁しにぎやかなローマ・ノルテ(北ローマ)と静かな住宅街ローマ・スール(南ローマ)の2つに大きく分かれる。この地区の誕生は20世紀初頭に上流階級向けの住宅地として開発が始まったことにある。高級志向の邸宅ということで用いられた建築様式もアールデコやアールヌーボー、ネオゴシックなど多岐にわたっていた。
INBA(メキシコ国立芸術院)から建築遺産の指定をうけた建物も多く残り、これら華やかないにしえの建築物は今なお、ローマ地区がローマたるゆえんである独特な雰囲気を生み出しているといえるだろう。
だが1985年のメキシコ大地震で大きな被害を受けた後には一斉に住人が引き払ってしまったことからひと足も途絶え、どちらかというとメキシコシティ内でも治安の悪い地区とみなされていた時期もあったそうだ。それが90年代半ば、地震を生き延びた建物が大幅にリノベーションされ生まれ変わったことで賑わいを取り戻したのである。
ベルリンの次はここ、といわれるアートの街
そのローマ復権の鍵の一つとなったのが、アートギャラリーやこだわりの粋を集めたショップの数々である。日本の友人から「『ベルリンの次はメキシコシティだ』と言われるくらい、今、アート界隈から熱い視線を注がれている街なんだ」と聞き、そうなのかと驚いたのだが、ローマ地区は間違いなくそのムーブメントの旗手として挙げられるだろう。
ギャラリーも含めるとメキシコシティにある美術館・博物館の数は170を下らないといわれ、このローマ地区も小規模ながら見ごたえのある美術館やギャラリーが点在する。
また、街を歩くだけでも様々なストリートアートに触れることができる。
グルメの最先端を行く街
ローマ地区の懐の深さはそのバラエティー豊かな飲食店のラインナップにも表れている。まだまだ食に対してはコンサバな考えが根強く残るメキシコにおいて、お隣コンデサ地区とともにメキシコにおけるグルメの流行発信地としての役割も担っているのだ。
その代表的な例として挙げられるのが2014年にオープンしたメルカド・ローマ(https://mr.mercadoroma.com/)。複数のグルメショップを集めたフードコンプレックス施設なのだが、このメルカド・ローマの成功を皮切りに、メキシコシティでは一大メルカド(もともとスペイン語で市場、の意味)ブームを引き起こし、雨後の筍のごとく、大小さまざまな同形態の施設が生まれることとなった。
また、思想というよりは食の流行の一つとしてメキシコに入ってきた「ビーガン」だが、ビーガンを謳う料理や商品をいち早く見かけたのはローマ地区であったように思う。
メキシコ人の20%はベジタリアンもしくはビーガンという、にわかには信じがたい記事(https://www.forbes.com.mx/20-de-los-mexicanos-ya-son-vegetarianos-o-veganos/)もあるが、いつも多くの人でにぎわっている人気のビーガンレストランがあるのも事実だ。
流行のヒップなレストランだけでなく、こういった昔ながらの食事処も混在しているのがまた楽しい。
このローマ地区、日本ではいわゆる観光客向けの地区としての認知度はまだまだ低いだろう。だが大型のチェーンホテルこそないもののデザインホテルは豊富で、近年では洒落たアパートを使った民泊の施設も多く誕生している。さらに、定番観光地へのアクセスも悪くはない。なにより、散策が楽しい地区である。今後は日本からのツーリストも要注目の地区となっていくだろう。
文・写真/長谷川律佳(メキシコシティ在住ライター)
2010年よりメキシコシティ在住。現地旅行会社が発行する日本語・スペイン語バイリンガルフリーペーパーの編集長を経て、2015年よりフリー。現在、書籍やwebにて執筆。海外書き人クラブ会員(http://www.kaigaikakibito.com/)。