文・写真/長谷川律佳(海外書き人クラブ/メキシコ在住ライター)
国じゅうが国旗カラーに満ちる9月
9月16日はメキシコの独立記念日。この日にむけ、8月下旬あたりから街にはメキシコ国旗の色である、赤白緑を使ったデコレーションがお目見えし始める。
「独立記念日」という名称のため勘違いされやすいのだが、この日はメキシコがスペインから独立を果たした日、ではない。1810年9月16日、植民地支配に対する農民たちの蜂起を指導したミゲル・イダルゴ司祭がドロレスの教会で鬨(とき)の声をあげた日、なのである。
ともあれ、この日がメキシコ人にとって―パーティー好きの彼らにとって、お祭り騒ぎができるいい口実であるという面からも―重要な日であることに変わりはない。
メキシコ人の誇りと「チレス・エン・ノガダ」
世界遺産でもあるメキシコ伝統料理は数あれど、この時期限定で楽しめるものはといえば「チレス・エン・ノガダ」。チレ・ポブラーノという、大きなピーマンに似たチレ(トウガラシ)に詰め物をして、白いソースをかけ、ザクロとパセリをちりばめた秋の風物詩ともいえるメニュー。ザクロの赤・ソースの白・チレとパセリの緑、とこれもメキシコ国旗と同じ配色なのである。
この料理の歴史に関しては諸説あるものの、プエブラ州サンタ・モニカ修道院の修道女たちがアグスティン・デ・イトゥルビデ、のちのメキシコ皇帝アグスティン1世をもてなすために用意した料理だ、というのが一般的。
この際アグスティンは、メキシコ独立承認の布石となった「コルドバ条約」を結んだ後にプエブラに立ち寄ったのだというから、ナショナリズムあふれる伝統料理の誕生秘話としてはいささかでき過ぎの感も否めないが(実際、国旗カラーに仕上げる独立記念日むけの料理としてのチレス・エン・ノガダが誕生するのは20世紀に入ってからだ、とするメキシコ国立人類学歴史研究所の報告もある)この逸話ゆえ、現在でもプエブラ州はチレス・エン・ノガダのメッカと目される州である。
トウガラシ料理のイメージを覆すその味とは
さて、直径15センチほどもあるトウガラシを使った料理と言われれば、さぞや辛い料理なのだろう、と思われるかもしれない。が、実はチレス・エン・ノガダ、甘い料理なのである。
辛みの元となる「種」を綺麗に取り除いたトウガラシに詰められるスタッフィングは、合いびき肉にアーモンドやレーズンそして松の実といった木の実に加え、リンゴ・洋ナシにモモといったカットフルーツだ。
そして、チレス・エン・ノガダになくてはならない白いソースは、クルミにサワークリームやエバミルク、そしてクリームチーズを加えて作られる。茶色いクルミからここまで白いソースを作る秘訣は、一つ一つクルミの薄皮を手で剥いていくことにある。
筆者のメキシコ人夫の叔母はプエブラ州に義母がいたのだが、チレス・エン・ノガダのソースの仕込みはなんと7月から家族総出で行っていた、と話してくれた。2か月かけて下準備をした大量のクルミは牛乳と砂糖に漬けて瓶で保存し、9月の独立記念日前にソースづくりに使ったのだそうだ。
「その昔、プエブラの田舎町では、ロザリオの祈りを唱えながらクルミの皮をむいていたのよ。テレビもネットもない時代じゃ他に気晴らしもないから、みんなで黙想しながら作業してたってわけ」
そう笑う叔母が作るチレス・エン・ノガダからは、この祝祭料理を受け継ぐプエブラ女性たちの矜持が感じられる。
メキシコ旅行でチレス・エン・ノガダを試したくなったら……
もしこの記事を読んで、チレス・エン・ノガダをぜひ食べてみたい、そう思ってくれる読者がいたら光栄なことだ。だが、ピンポイントで独立記念日前後にメキシコに来るというのはなかなか至難の業。でもご心配なく。メキシコシティには年中無休でチレス・エン・ノガダを提供しているレストランがあるのでご紹介しよう。
それが、Hosteria de Santo Domingo(オステリア・デ・サントドミンゴ)。1860年創業の老舗レストランで週末ともなると長蛇の列ができる超人気店だ。メキシコシティ観光の定番である「ソカロ」にもほど近い。こちらではかなり大ぶりのチレで提供されるため、シェアがおすすめ。
Hosteria de Santo Domingo
Belisario Domínguez 70-72,Col. Centro Histórico, CDMX
https://hosteriasantodomingo.mx/
文・写真/長谷川律佳(メキシコシティ在住ライター)
2010年よりメキシコシティ在住。現地旅行会社が発行する日本語・スペイン語バイリンガルフリーペーパーの編集長を経て、2015年よりフリー。現在、書籍やwebにて執筆。海外書き人クラブ(http://www.kaigaikakibito.com/)会員。