取材・文/関屋淳子
今、マニラでは新進気鋭のシェフたちがフィリピンの食材や料理法を使ったガストロノミーを展開しています。そのきっかけとなったのは2017年、マニラで開催された料理学会「マドリッドフュージョンマニラ」でした。スペインの料理界といえば、『エル・ブリ』をはじめ、料理を分子レベルにまで分析・研究した「分子ガストロノミー」で一世を風靡したことで知られています。マニラ開催では、スペインとフィリピンのトップシェフによる様々なデモンストレーションが行なわれ、世界中の料理人やジャーナリストの関心の的となったのです。
そこで、現在、食の世界で驚くべきスピードで変化するマニラで、今行くべき3軒のレストランをご紹介します。
レストランのご紹介の前に、フィリピン料理についてご説明。フィリピンでは古くから交易のあった中国、スペイン植民地時代、さらにアメリカナイズといった歴史を経て、独自に発展した食文化があります。味付けはスパイスを多用しないため比較的穏やかで、柑橘類のカラマンシーやビネガーなどの酸味をきかせた料理が多く、魚醤などの発酵調味料もよく使われます。代表的な郷土料理としては、鶏肉または豚肉を醤油とビネガーで煮込んだ「アドボ」、細切れにした豚の顔部分と醤油、ビネガー、唐辛子などで味付けした「シシグ」、子豚の丸焼きの「レチョン」、野菜と肉をピーナッツソースで煮込んだ「カレカレ」、フィリピン版の味噌汁と呼ばれる具沢山で酸味のきいたスープ「シニガン」などがあり、白米とともにいただきます。フィリピンのデザートとして知られる「ハロハロ」は公用語のタガログ語で混ぜこぜという意味。その名の通りかき氷にアイスクリーム、果物、豆類やイモ類、ナタデココやタピオカなどが入り交じり、フィリピンの食文化を表しているようです。
フィリピンの食材で再構築『トーヨーイータリー』
最初にご紹介する『トーヨーイータリー(ToyoEatery)』。こちらは「アジアのベストレストラン50」の部門賞のひとつ『注目のレストラン ミーレ賞』の2018年度の受賞レストランです。オーナーシェフのジョーディ・ナバラさんはマニラ出身。イギリスで最も有名なレストランのひとつで、最新のテクノロジーを駆使する『ザ・ファット・ダック』で修業し、その後香港の名店などを経て、2016年に開店。その料理は、自身が生まれ育ったフィリピンの食材や味覚、風土を新しい形の料理に落とし込むコンテンポラリーフィリピン料理。店内はオープンキッチンがそのままダイニングになったという印象のカジュアルでフレンドリーな造りで、若いスタッフが元気に真剣に働く姿が気分を盛り上げてくれます。
コースはひと口サイズのアミューズに始まり、肉料理や魚料理が続きます。旨みの強い牡蠣とビネガーの酸味の調和、ジンジャーがきいた茶碗蒸しには平飼いで育てた鶏肉の団子とサヨーテ(はやと瓜)、皮をパリパリに焼いた豚肉は海老で発酵させた飯鮓の塩味とマスタードの香りとともにいただきます。ナスのオムレツにブルークラブと海老、長葱を散らした一品は自家製のバナナケチャップで。締めは香ばしい小エビを散らしたごはんで。
デザートもハイビスカスのゼリーやキャッサバ芋、バナナを使ったケーキなど充実。これがフィリピン料理?、と思いながらも、フィリピンの人々のような温もりを感じる味。そしてジョーディさんは「酸味」の使い手の名手!南国の気候の中で育まれたフィリピン料理独特の味覚を大切にしています。食材の組み合わせにしても味覚のバランスにしても、ジョーディさんのローカル愛がいたるところに溢れているのです。
この店舗の近くには、2017年にジョーディさんがオープンしたブーランジェリー&カフェ『PANADERYA TOYO』があり、こちらでは添加物ゼロの天然酵母のパンを楽しむことができます。フィリピン人が好きな塩パン「パン・デ・サル」を惣菜とともに味わえば、ネイティブな気分になれます。
『Toyo Eatery』
TEL. +63 917 720 8630
The Alley at Karrivin Plaza, 2316 Chino Roces Ave, Makati, 1231 Metro Manila
https://www.facebook.com/toyoeatery/
フィリピンとスペインのいいとこどり『ギャラリー バイ チェレ』
次にご紹介するのは『ギャラリー バイ チェレ(Gallery By Chele)』。マニラのファインダイニングを牽引するチェレ・ゴンザレスさんがそれまでの『ギャラリー バスク(Gallery Vask)』から2018年5月にリニューアルオープン。スペイン出身のチェレさんは世界的なレストラン『エル・ブリ』などを経て、いち早くフィリピンの食材やフレーバーに注目し、それを最新の調理技術でイノベーションを興したマニラのスターシェフです。料理を語る姿勢はとても情熱的。フィリピンとスペインのかけ橋のような存在と感じました。以前の店では20皿ほどの長いコース料理だったのですが、この店では、5皿ほどの短いコースも用意。よりわかりやすく、シンプルにストレートに自分のスタイルを表現したいということでした。店舗はマニラの最先端でハイファッションな街、ボニファシオ・グローバルシティのビルの5階に位置。エントランスを入るとカクテルなどが楽しめるバーカウンターがあり、店内には様々なアート作品が飾られ、カジュアル過ぎずお洒落過ぎず、落ち着いた雰囲気に包まれています。
では料理をご紹介。まず数種類の一口サイズのアミューズを楽しみます。赤米とヨーグルト、イクラの組み合わせ、ウベ(紅山芋)のクリスプにタコのアドボ、マッシュルームやマンゴーのエマルジョンを合わせたものは、旨みと香りと食感が口の中でひとつになります。さらにブリオッシュの生地の間にフィリピン版ビーフシチューを挟んだものは八角の香りがあり中華のよう。また、イトログ(目玉焼き)、ロンシログ(甘めのソーセージ)、シナガッグ(ガーリックライス)というフィリピンの伝統的な朝食をイメージしたものなど、バラエティ豊富。様々な味覚が次から次へと押し寄せます。
そしてここからが本番! 今回は魚料理が多い内容で、川海老はニンニクのエマルジョンで、牡蠣はコーヒー、レモングラスと組み合わせたり、グリルしたグルーパー(ハタの仲間)はナスの出汁とバジルを合わせたソースでと、素材の良さを十二分に引き出しながら新鮮な味付けを施しています。なかでも一番気に入ったのはタコのグリル。味付けはフィリピンの焼き鳥(チキンイナサル)の漬け込みだれをアレンジしたもので、やわらかいタコが上品なBBQ風に仕上がっていました。コース最後の牛肉は噛みしめるごとに旨みが広がり、ソースは醤油(トヨ)とカラマンシー入りで、トヨマンシーソースと名付けていました。
チェレさんの料理は、カテゴリー分けをすればスペイン料理なのでしょうが、すべてに“フィリピン風”というベールをまとっています。洗練されたひと皿に閉じ込められたフィリピン料理へのリスペクトを感じました。
『ギャラリー バイ チェレ』
TEL.+63 917 546 1673
5/F Clipp Center, 11th Ave corner 39th St, Bonifacio Global City, Taguig, Metro Manila
https://gallerybychele.com/
自由な発想が楽しい『ザ ヘルム』
最後にご紹介するのは2018年8月にオープンしたイギリス出身のオーナーシェフ、ジョシュ・ボートウッドさんの店『ザ ヘルム(The Helm)』。ジョシュさんはデンマーク・コペンハーゲンの名店『ノーマ』で腕を磨きました。『ノーマ』といえば世界で最も予約の難しいレストランのひとつといわれ、スカンジナビアの食材しか使用しないためにレモンの代用に蟻が放つ酸を使ったり、期間限定で日本に出店したりと話題の多い著名店です。そこで培った確かな技術に裏打ちされた料理はヨーロピアンスタイルながら、フィリピンの食材やフレーバーをプラスしています。
料理の構成は4か月に一度見直され、内容もプレゼンテーションも大きく変わるとのこと。取材時は、カラーチャートがメニュー替わり。つまり黒・紫・緑・赤・グレー・ピンク・青といった具合に、色で料理を表現するというものでした。
数種のアミューズののち、供される料理はまずその色彩で驚きますが、もちろんそれだけではありません。「紫」はウベと紫キャベツ、鴨レバーの絶妙な味わい、グリーンピースのピューレやハーブのデルを使った「緑」が鮮やかな料理はシーバス(スズキ)の上品な味わいが生き、「赤」は鰹節のように削った牛ハツとビーツやクランベリー、スイカを合わせ、「グレー」は牛タンに、緑豆でつくった味噌で和風のような仕立てになっています。デザートもドラゴンフルーツの「ピンク」、ブルーベリーの「青」、ココナッツの「白」と、飽きさせません。
カウンターのみの店内、皆の視線がシェフの手元に集中するなか、表情を崩さず料理に向き合うジョシュさんの姿は、求道者のようでもあり、何か実験を楽しむ少年のようでもあり、ほどよい緊張感とエネルギーに満ちていました。まだまだ新しい発想で進化し続けることを予感させる料理、心躍るひとときでした。
『The Helm』
TEL.+63 906 234 1900
G/F The Plaza, Arya Residences, McKinley Pkwy, Taguig, 1634 Metro
https://www.joshboutwood.com.ph/
今、行くべき3軒のレストランをご紹介しました。じつはマニラの美食の世界、これほどのハイクオリティとは私も知らないことばかりでした。フィリピンでは料理のお供はクラフトジンやラムなどを使ったカクテルが好まれるようですが、近年はクラフトビールも造られ、食の世界の幅がますます広がっていきそうです。今度の休みは美味しいものを食べにマニラに行く、そんな旅を楽しんでみてはいかがでしょうか。
協力:フィリピン政府観光省
取材・文/関屋淳子
桜と酒をこよなく愛する虎党。著書に『和歌・歌枕で巡る日本の景勝地』(ピエ・ブックス)、『ニッポンの産業遺産』(エイ出版)ほか。旅情報発信サイト「旅恋どっとこむ」(http://www.tabikoi.com)代表。