文・写真/横山忠道(タイ在住ライター)
山紫水明の美しさと風雅な伝統文化を満喫できるタイ第二の都市「チェンマイ」は、世界中から大勢の旅行客を集めている。人気の観光地は外国人であふれていてリラックスしづらいのが難点だが、そんなチェンマイのとっておき穴場スポットを紹介しよう。
チェンマイ旧市街から南東に約4キロほど向うと、ひととクルマが交錯する中心部とは打って変わってひっそりとした佇まいの遺跡群がある。そこが「ウィアン・クム・カーム」である。
南北1キロ、東西1.8キロほどの範囲に40ケ所以上の遺跡が点在し、壮大な規模もさることながら、荒涼とした廃墟の風景は官能的ですらある。
歴史と自然に翻弄された「幻の都」
四方を濠と城門・城壁に囲まれたチェンマイ旧市街は、13世紀末から16世紀まで北部タイを支配した「ラーンナー王国」の王城の地であった。
マンラーイ王が「ハリプンチャイ王国」を滅ぼし、ラーンナー王国を樹立したのが1281年。ウィアン・クム・カームに都を移したのは5年後の1286年のことである。
ウィアン・クム・カームは、遥か下流はバンコクまで通じる「ピン川」東岸に位置しているが、ラーンナー王国時代のピン川は遺跡群の北から東側に流れていた。この地は水の恵みに抱かれた豊穣の地であったのである。
この地が都であったのは10年間であったが、遷都後もラーンナー王国の重要な都市として発展を続けた。しかし度重なる河川の氾濫によってついに泥の中に沈み、約300年もの間「伝承上の都市」としてその実在すら疑われていた。
この地が再び脚光を浴びるのが1984年のこと。「ワット・チャーン・カム」という寺院(ワットはタイ語で寺の意)で発掘された遺物からウィアン・クム・カームがこの場所にあったことが証明され、「幻の都は本当にあった!」と大きな話題になったのである。そして大がかりな発掘調査と復元作業が開始された。
繁栄と滅亡の軌跡が残る遺跡、ワット・クー・パー・ドーム
ラーンナー王国の最初の都となったウィアン・クム・カームだが、ピン川の水位よりも低地にあるこの地は度重なる氾濫に悩まされ、マンラーイ王はさらに北方にあるチェンマイへの遷都を決意する。南西部に位置する「ワット・クー・パー・ドーム」を訪れると、建造物は地表面に対して約2メートルほど低い位置にあったことが確認できる。このあたりはのちの大洪水で最も水量が多かったエリアとされるが、建造物を囲む壁のいびつな並びがその猛威を物語っている。
ウィアン・クム・カームの遺跡のほとんどは、煉瓦の基壇部や崩れた仏塔が残存し、部分的に漆喰や装飾の跡がみられるのだが、ワット・クー・パー・ドームは寺院を囲む壁、門、階段の飾りや井戸まで非常に良好な状態で残っており、当時の寺院建築のようすがわかる。
ウィアン・クム・カーム全盛期の遺跡、ワット・フア・ノーン、ワット・プー・ピア
チェンマイを首都とするラーンナー王朝は15世紀ごろ全盛時を迎える。一時期は現在のミャンマー、ラオスまで版図を広げたが、ウィアン・クム・カームも王族の離宮および水上交通の要衝として発展を続けた。遺跡群の中で随一の規模を誇る「ワット・フア・ノーン」はこの時期に建立されたものとされる。
ここは仏塔を支える「4体の象」が見所である。発掘された造形物の中の多くはインフォメーションセンターに移設されているが、当時のままの姿を確認できる貴重な場所である。
遺跡群の中で最も多いのがこのラーンナー王朝後期に建造されたもので、仏塔が上部まで状態よく現存している「ワット・プーピア」も見逃してはならないスポットである。祭壇とされる円形の遺構も興味深い。
ウィアン・クム・カーム末期の痕跡、ワット・ナーン・チャーン
強大な勢力を誇ったラーンナー王朝だが、1558年にビルマの攻撃を受けて陥落、その後200年以上に渡って北部タイはビルマの覇権下となる。その時代にもウィアン・クム・カームは存続したようで、「ワット・ナーン・チャーン」という寺院は16~17世紀に建造され、さらに拡張された形跡がみられる。礼拝堂への階段の手すり部に「マカラ」というワニと魚が合体した神獣があしらわれている。
王朝の盛衰とともに生きたウィアン・クム・カームは、17世紀中頃に起こった大洪水によって歴史に終止符を打つ。この洪水はピン川の流れは東から西に向かって移動するほど凄まじいもので、全域がほぼ掃き流される形となって古都は泥に沈んだ。
水上交通の要衝としての地位を失ったウィアン・クム・カームは埋もれたまま打ち捨てられ、その後ひとびとの記憶からも消えてしまった。しかし逆にいうと、ラーンナー王国の時代から300年以上に渡って時計の針が止まったままの都市の遺構は、他に類をみない貴重なもので、ここ地に立つと過去にタイムスリップしたような感覚すら覚えるのである。
王朝黎明期から現代への生き証人、ワット・チェディ・リアム
この地に再びひとびとが戻ってくるのは、19世紀初頭まで待たなくてはならなかった。1908年にビルマ人商人が当地に古くから残る「クーカム」と呼ばれる仏塔の修復を行う。それが「ワット・チェディ・リアム」の仏塔である。高さ30メートルの威風堂々たる仏塔は五層構造で、四面に合計64体の仏像が納められている。元々13世紀にハリプンチャイ王国の仏塔(ランプーン県に現存するワット・チャーマ・テウィー)を模して建造されたものだったが、修復によって装飾性の高いビルマ風のデザインを大胆に取り入れたものとなった。
この地の黎明期から時代を越えて発展と滅亡を見守り続け、現代に新たな生命を吹き込まれて甦った仏塔は、ある意味ウィアン・クム・カームの長い物語における「主役」といっていいかも知れない。
ウィアン・クム・カームの魅力とは
ウィアン・クム・カームはチェンマイ中心部からわずか20分という好立地ながら、ひっそりとのどかな田舎道の中にある。往来は少なく、どの遺跡も観光客の姿をほとんど見かけない。
いにしえの暮らしに想像を巡らすにはもってこいの寂寞感ではあるが、300年以上に渡って忘れられてきた幻の都が、再びひとびとの関心の外になってしまうのは寂しいものがある。まだ土の中に埋まったままの遺跡も確認されており、今後観光資源としてさらに整備をして多くの観光客を集めてほしいと願うばかりである。
ウィアン・クム・カームへの行き方
チェンマイ中心部からタクシー・トゥクトゥク等で南側の「インフォメーション・センター」へ向かう。所要約20分。効率よく回りたいならインフォメーション・センターでトラムか馬車をチャーターする。
スポットごとに下車して遺跡を探索するには、レンタサイクルを借りるか、チェンマイ中心部からバイクまたはレンタカーで行きたい。
文・写真/横山忠道
タイ在住ライター。22004年に日タイ政府間合弁技術者育成事業に従事したのを端緒とし、その後一貫して日タイを繋ぐ活動に専念。2014年にチェンマイ移住。リサーチ・分析スキルを持ち味とした執筆活動を続ける。海外書き人クラブ所属。