夕張線は2016年に夕張市長が廃止を提案。それ以降、夕張市とJRによる廃止協議が進められ廃止日程が確定。2019年3月31日が最終日となった。
ディーゼルカーは、いよいよその「夕張支線」へとすすむ。
かつて超主力産業だった石炭より、いまやメロンが圧倒的に有名になった夕張。車窓からはメロンを作っているらしいビニールハウスが光っている。出荷にはかなり厳しい基準があるため、畑で破棄処理されるメロンも少なくない。以前沿線で撮影していたら、おそらくそのメロンからだろう、谷間から流れる風に甘い香りが付いていて少々戸惑うほどだった。
最初の駅は沼ノ沢。駅の事務室はレストランになっている。駅の中の食堂と侮るなかれ、東京で修業をしてきたシェフが作る料理は実においしい。でも、今回は駅の裏側から眺めるだけ。
同じく沼ノ沢駅。駅舎と反対側には細長い空き地が広がっている。かつて真谷地炭鉱からの石炭列車が発車を待ち合わせたヤードの跡だ。真谷地専用線が廃止になってずいぶん経つが、寒冷な気候のためかあるいはメンテナンスをする人がいるのか、まるで公園のような見た目になっている。
清水沢駅には、昔ながらの駅舎が残されている。駅舎とホームまでの間はやはり石炭列車のヤード跡である。ここからは三菱大夕張炭鉱、南大夕張炭鉱などから産出した石炭が積み出されていた。
1987年までは三菱石炭鉱業大夕張鉄道線が運行されており、清水沢には幾度となく訪れた。大夕張鉄道のホームは駅舎に最も近いところ。写真右の中央付近い茶色い横棒が見えるところである。列車が走るのは朝夕の通学用のみ。代表的な斜陽産業ではあったが、炭鉱の住人はまだ多く、2両編成の列車はいつも満員だった。車内で会った高校生に、卒業後の進路を訪ねたら「俺は炭鉱で働く!」と目を輝かせて答えてくれたのがとても印象的だった。明治から昭和まで、日本の産業と経済を支えてきた駅である。
清水沢駅。かつては跨線橋が設備されていたが、列車の交換設備を廃止し、仮舗装されたアスファルトの歩道ができている。どことなく工事現場のような風情になっている。
この街が炭鉱の町だと実感したのは、料理の味付けだ。そのころ定宿にしていた駅前の商人宿から「うまい」と評判の中華料理屋に出かけた。確かに美味しい。だが驚くほど塩辛いのである。塩加減を間違えたのかと思ったが、その味付けが基本だった。
「お客さんの好みに合わせているうちにだんだん塩辛くなったんだねぇ」炭鉱で働く激務を舌で感じた瞬間だった。