清水沢を出たところで、シホロカベツ川の鉄橋を渡る。道路との間に見えるのは、複線時代の橋脚だ。そちらに気をとられて気づかなかったが、道路でカメラを構えていたのは友人であった。この日の夜、彼からその写真が送られてきた。邪魔して申し訳なかったが、大変よく写っていた。
鹿の谷の集落を眺めて走る。夕張線はほぼ一駅ごとに炭鉱の専用線や私鉄が分岐していた。鹿ノ谷駅からは峠を越えて岩見沢方面に抜ける夕張鉄道が分岐していた。運営していたのは北海道炭礦汽船、「北炭」である。かつて道内の多くの炭鉱を束ねる巨大企業だ。夕張地域は三菱系の炭鉱と、三井系の北炭とが競って炭鉱を拓き、それらの搬出は鉄道が担っていた。
沼ノ沢~夕張にある鉄橋のガーター。車窓に歴史があふれている。
夕張駅到着。かつてはこの位置からさらに1㎞ほど進んだ坑口付近に駅があったのだが、炭鉱閉鎖に伴い線路を短縮して市役所の横に移転。しかしその後、再移転し現在の位置に落ち着いた。
待合室には、リ・スタートまでのカウントダウンがあった。
夕張駅の滞在時間はおよそ8分。かなりあわただしい折り返しだ。もう一本遅らせて街を巡ってみる、という手もあったが諦めることにした。今日の列車が日没を過ぎてしまうのと、できれば廃止までに今一度訪れたいから、その願掛けのつもりもある。どこかの丘の上から、谷間をくねるように走る列車の姿を見てみたい。
帰りの列車から住宅が見える。元の炭鉱住宅「炭住」だろう。真っ白にお化粧直しをして、谷間の高台に輝いていた。
鹿ノ谷~清水沢のトンネル。さきほどの鉄橋と同じくかつては複線だった。坑口の表情を見ると、右よりも、左の方が新しいようだ。
車内の光を受けトンネルの壁面が少し輝く。レンガ造りの壁面が建設された時代を感じさせる。
南清水沢は夕張支線の中でも唯一支線や連絡鉄道がなかった駅だ。周辺の再開発がしやすいためか、廃止後はここに複合施設が作られることになっている。
夕張を出て、新夕張に帰着。ディーゼルカーはこのまま千歳駅に戻る。
ここからは、今回唯一の特急列車に乗車である。