夕刊サライは本誌では読めないプレミアムエッセイを、月~金の毎夕17:00に更新しています。木曜日は「旅行」をテーマに、角田光代さんが執筆します。

文・写真/角田光代(作家)

はじめてスリランカを旅したのは2000年。直行便がなく、マレーシアで乗り換えて、まずキャンディに入り、アヌラーダプラ、ヌワラ・エリア、ゴールを経由してマータラ、コロンボ、という大移動の旅だった。当時はゲリラによる武装闘争がさかんで、コロンボは至るところで道路が封鎖され、チェックポイントが設けられていたが、それ以外の街はのんびりとして、危険などまったく感じないのどかさだった。

この旅のさなかに、「スリー・パーダ」という、願いをかなえてくれる聖地があると知り、私はそこを訪れた。さらに南端部のマータラを訪れた際、その先に「カタラガマ」という、スリー・パーダと肩を並べる聖地があると知った。そこまで巡礼の旅をするという家族連れに教えてもらったのだ。そこも行きたかったのだが、日数的にかなわず断念した。

その当時私は30代の前半で、お金を節約しながら旅していた。主義主張によるものではなく、必然的に貧乏旅行をせざるを得なかった。泊まるホテルは1000円以下。移動は長距離バスと乗り合いバス、鉄道。タクシーはもちろん使えない。

20日間、そうして節約旅をして、帰国前にコロンボで贅沢をしようと思った。あとは帰るだけだからもうお金は使わない、だから、1000円以下のゲストハウスではなくて、豪勢なホテルに泊まろう。街の中心にある豪勢なホテルは、見るからに貧乏なバックパッカーも嫌がらずに泊めてくれた。ホテルのロビーでは結婚式の撮影をしていた。さすが豪華ホテル、と思った。

16年後の2016年、正月明けの休みに夫と二人でスリランカを旅した。ふだんはホテルを予約しないのだが、コロンボ着が夜中だったので、前もって街なかのホテルを予約しておいた。きちんとした値段のホテルを予約していたのに、着いてみると、いかにも安宿の風情。

貧乏旅行をせざるを得なかった若き日を思い出し、「もうこんなホテルには泊まりたくなかったのに」と思いながら寝て、悪夢を見た。どうやら私は、若いころに安宿に泊まりすぎたせいで、四十半ばごろから安宿アレルギーが出るようになった。薄汚い、窓のない、あっても開かない、開いても隣のビルしか見えない、バスタブもない、あってもカビていて、水量も少ない、そういう部屋だと、夜に決まって悪夢にうなされる。今回のホテルはそこまでひどくはなかったのだが、でも、悪夢を見るほどにはぼろかった。

翌日チェックアウトして向かったのは、かつて行きそびれた聖地、カタラガマである。列車でゴールまで行き、そこからバスでティッサマハーラーマまでいった。食堂も数軒しかないような田舎町だが、近くにヤーラ国立公園があるから、観光客向けの立派なホテルがいくつかある。ほっとした。

スリランカ南部最大の港町ゴールのビーチ。ゴールは14世紀頃から東西を結ぶ貿易地として栄えていた。

スリランカは多民族国家で、信じる宗教も異なる。だからスリー・パーダも、カタラガマも、どの宗教徒も信じられるようになっている。その聖地では、仏教もキリスト教もヒンズー教もイスラム教も混じり合っていて、だから、全国からだれもがその聖地を目指すのである。

カタラガマ神殿はティッサマハーラーマからバスで30分ほど。土着神とヒンズー教と仏教と、現在はイスラム教も混じった聖地である。カタラガマ神は、悪事であっても願えばそれをかなえてくれるという。たしかに聖地だけのことはあり、ものすごい人が神殿に向かっている。私たちも人でぎゅう詰めの神殿で礼拝に参加して祈りを捧げた。

カタラガマ詣でのあとは国立公園のサファリツアーをして、コロンボに帰った。コロンボにはチェックポイントはもうない。新しいビルがたくさんできていて、お洒落な若者が集うようなエリアもある。街の中心にそびえるヒルトンホテルが、16年前とは街が大きく変わったことを告げている。しかしながら、市場や下町、至るところにある寺院を訪れると、16年前の記憶がくっきり浮き上がってくるほど、変わっていない。

スリランカで2番目の広さを誇る自然公園・ヤーラ国立公園のサファリツアーで遭遇した象の親子。

そして何より驚くのが、人の親切さがまったく変わらないこと。スリランカの人たちはこちらが戸惑うくらいやさしくて面倒見がいい。正しいバスを探すのにずっとつきあってくれる人もいれば、疲れ果てて道に座りこんでいる私たちに、「だいじょうぶか、迷ったのか、どこに行きたいのか」と話しかけてくれる人もいる。16年前の私も、そんなふうに助けられ、親切を受け取りながら旅したのだった。

ヤギが街なかを散歩するのどかな風景は、16年前と変わらない。

さて、帰ってから、16年前の旅のノートをひっぱりだして、当時の食事、値段、街のあれこれを読み返し、今回の旅と比べてみた。変わっていることは驚くほど変わっているし、変わっていないことはまったく変わっていない、そのことを確認するのが意外に楽しい。

そしてあることに気づいて驚愕した。私が悪夢を見たあの安宿然としたホテルは、30代の私が「最後だから」と精一杯奮発して泊まった豪華ホテルと同一だった。ホテルがはげしく老築化したのか、30代の私がはげしく貧乏だったのか、16歳年を重ねた私がはげしく変わったのか……。

文・写真/角田光代(かくた・みつよ)
昭和42年、神奈川県生まれ。作家。平成2年、『幸福な遊戯』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。近著に『私はあなたの記憶の中に』(小学館刊)など。

 

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