文/藤田達生(三重大学教授、歴史学)

伊豆半島の付け根にあたる要地に、三嶋大社(静岡県三島市)は鎮座する。久しぶりに訪れたが、実におだやかな桜日和のなかでの参拝となった。

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↑三嶋大社で参拝する藤田氏(左)と、安部氏(右)。

当社は、源頼朝以来代々の将軍からの崇敬を受け、伊豆国の一宮として栄えた。周辺は伊豆の国府のあった地で、街道の要衝すなわち東海道と下田街道の接点に位置することから、門前町兼宿場町としても大いに繁栄した。

祭神は、江戸時代までは大山祇命(おおやまつみのみこと) とされていたが、幕末に事代主神説が国学者の支持を得たため、明治6年(1873)に積羽八重事代主神 (つみはやえことしろぬしのかみ)に改められたという。その後大正時代になって大山祇命説が再浮上したため、二柱説が昭和27年(1952)に制定されて現在に至っている。

近年の研究においては、三嶋神は「御島神」すなわち伊豆諸島の神を意味するとして、上記二説とも後世の付会とする見方が有力らしい。伊豆諸島で原始的な造島神・航海神として祀られたのが「ミシマ神」の始まりであるという。

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↑三島大社境内にある「神鹿園」。

通説的見解を載せたが、気になることがあったので、あらかじめ日本地図のなかで当地を確認してきた。それは、三嶋大社が富士山を仰ぎ見る絶好のロケーションにあること、伊豆の良港沼津に隣接することである。

ここで思い出したのが、鮮やかな朱漆塗り極彩色の社殿が印象深かった薩摩国の一宮として崇敬厚い枚聞(ひらきき)神社(鹿児島県指宿市)である。その後方に鎮座する開聞(かいもん)岳が目に飛び込んできたのを懐かしく思い出した。三島大社の場合も、このシリーズ2回目の訪問地とロケーション的にあまりに似通っていたのだ。

中国や琉球などから薩摩半島めざして航行する船人が、ランドマークとしたのが開聞岳だった。彼らは、枚聞神社に近接する山川港へと入港した。それと同様に、伊豆半島を経由して波静かな駿河湾をめざす船人も、霊峰富士山を遙かに遙拝しながら三嶋大社の外港ともいえる沼津に入港したのであろう。

■歴史が凝縮された伊豆半島

大山祇命は、伊予国の一宮大山祇神社(愛媛県今治市)の祭神としても有名で、両神社ともに武の神そして海の神として、広く中世武士の信仰を集めた。大山祇神社を庇護したのが、伊予国守護であり室町・戦国時代には海賊大名として勇名を馳せた河野氏だった。河野氏一門であり鎌倉新仏教の一流時宗を開いた一遍は、弘安5年(1282)7月に三嶋大社を参詣している。

その様子は、国宝『一遍聖絵』(清浄光寺、歓喜光寺所蔵)に詳細に描かれている。一遍は弟子たちを従えて諸国を遊行したが、ここには東海道に面した門前から一の鳥居、神池、二の鳥居をくぐって神門、舞殿、本殿に至る当時の三嶋大社の景観とにぎわいの様子が活写されている。

なお三嶋大社宝物館では、この絵巻をコンピューターグラフィックスを使って動画化したものを見ることができるので、ぜひご覧いただきたい。

 

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↑写真上/ 慶応2年(1866)造営の本殿は重要文化財。写真下/伊豆半島の歴史を伝える宝物館にて(左は安部氏、右は藤田氏)。

三嶋大社には、有名な北条政子が奉納したと伝えられる国宝の梅蒔絵手箱をはじめ、源頼朝の下文、足利尊氏の禁制や御判御教書、鎌倉公方足利基氏の寄進状や御教書、豊臣秀吉禁制、徳川家康朱印状など、将軍や天下人クラスの武士からの信仰と庇護を受けていたことがわかる貴重な品々や古文書も保管されている。

なかでも特に興味深いのは、天正10年(1582)3月28日付で「三嶋神官殿」に対して宛てた北条氏政の「願書」すなわち願文である。まさに信長が甲斐武田氏攻撃を終えた直後のものであり、「信長公」の息女の輿入れを実現させ「関東八州」が子息氏直の本意に属す、つまり信長から安堵されたならば、社殿を建立することを誓約している。

戦国時代末期の三嶋大社は、北条・武田両氏の境界地域にあたり、しばしば戦火を被っていたのだ。この願文は、東国を制圧して文字通り天下人となった信長への従属を意味するものだった。ここには、信長に屈服した北条氏像が鮮明となる。

伊豆は、半島と諸島からなる国である。中世には金の産出量が東北地方並みに多かった。また気候が温暖で、農業生産力も高かった。歴史的には、京都から離れた僻遠の地(律令においては遠流の対象地、頼朝や日蓮の配流は有名)のように思われるかもしれないが、とんだ見当違いである。

既に述べたように、頼朝が流されて鎌倉幕府の基盤を固めたり、室町時代に関東で勢力を誇った堀越(ほりごえ)公方の本拠地があったり、幕末に韮山代官江川英龍(坦庵)が海防政策の一つとして建議した反射炉が建設されたりと、その時々の歴史の舞台となっているのである。

ひとつの地域に、これほど歴史が凝縮されている所は珍しいのではないか。ここに、伊豆が私たちを引きつけてやまない魅力がある。

文/藤田達生
昭和33年、愛媛県生まれ。三重大学教授。織豊期を中心に戦国時代から近世までを専門とする歴史学者。愛媛出版文化賞受賞。『天下統一』など著書多数。

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