12月10日発売の1月号から第3話「能登半島」に舞台を移した『サライ』連載の「半島をゆく」。今回は、三重大学教授で、戦国期がご専門の歴史学者・藤田達生さんに、連載を執筆する安倍龍太郎さんとの旅行記を執筆していただきました。

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↑三重大学教授の藤田達生さん(学術博士)。ご専門は日本近世国家成立史。著書に『謎とき本能寺の変』(講談社現代新書)など多数。取材中は「わぁ〜、すごい」
と叫びに近い感嘆の連続だった。

あこがれの能登七尾城を訪れた。

三管領畠山氏の分家(匠作家、初代畠山満慶みつのり)で、代々能登守護を務めた畠山氏の居城である。当城は、戦国時代を代表する山城として有名であるが、前々から「山上都市」というべき大規模な城域、階段状に築かれた野面積みの古い石垣遺構、入城した上杉謙信の作と伝わる漢詩などに心惹かれており、一度は訪れてみたい城跡だった。

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七尾駅を降りた安部龍太郎さんと私は、七尾城に関する多くの研究を発表されている七尾市教育委員会の善端直さんと落ち合い、一路城跡をめざした。遠くから見てもずいぶん目立つ山容である。七尾という地名は、松尾・竹尾・梅尾・菊尾・亀尾・虎尾・龍尾という尾根に由来し、城郭は松尾に築かれた。
私たちが乗った車は、天正4年(1576)に上杉軍が陣を張ったと伝わる天神河原、大規模な城下町があったといわれる古屋敷町を過ぎ、山腹を縫うように標高300メートルの城跡をめざして進む。15分程ではあるがワインディングを満喫すると、そこは出丸跡を利用した本丸北駐車場である。ここからは、善端さんのガイドで城跡をめぐりを始めるのだが、全行程約1時間と聞いて驚いた。やはり広い城内である。
山道を進むと、すぐに調度丸に着く。ここからは、七尾城の紹介写真でよく目にする立派な石垣が目に飛び込んできた。実に重厚で見応えのある古城のワンカットである。石段を登ると、そこは桜馬場。隣の遊佐屋敷の仕切りだった立派な土塀の基礎石塁が目に付く。善端さんからは、この石塁の延長に今登ってきた一段下の調度屋敷でみた石塁が位置づけられることを教わり、普請の計画性に思いを致した。

そうなのである。冒頭で戦国山城と紹介したが、確かにやや稚拙ではあるが石垣技術は織豊時代(織田・豊臣時代の略、安土桃山時代とも)のものといわねばならない。なぜなら、能登においてこれほどの石垣遺構は、他の中世城郭跡では確認できないからである。
普請の計画性も、織豊系城郭以降の近世城郭の特徴である。善端さんからは、本丸南西の虎口(こぐち・出入口)に安土城黒金門と同様の外枡形(くちばし状に外部に張り出した枡状の武者だまり)の虎口があることを教えていただいた。
私たちは本丸を最後の楽しみに取っておいて、それとは正反対の九尺石をめざすことにした。温井屋敷西側にある立派な巨石遺構は、内枡形(出入り口の背後に設けた枡形)の虎口である。
このように、いわゆる織豊系城郭に顕著な技術が散見されることから、現在の七尾城の遺構の年代観は前田利家が入城した織豊時代に求められよう。利家は天正9年に織田信長から能登一国を拝領し、七尾城主となった。ただし、能登守護畠山氏による中世山城が当城の縄張のベースになっていることに違いはない。
続いて、二の丸そして城内最大規模といわれる三の丸を横切り、安寧寺跡へと至る。ここには、小型の三重の塔をもつ寺院があったといわれる。なにも残ってはいないにもかかわらず、そこはかとなくおごそかな雰囲気を醸し出していたのが印象的だった。
それにしても、山深い城跡である。「以前『等伯』(直木賞受賞作)の取材で訪れた時には草ぼうぼうで、十分に歩くことができず残念でしたが、今回は草刈りが実によくおこなわれ、市民の皆さんの意識の高まりを感じることができてありがたいです」と、安部さんは我が故郷のことのように嬉しそうに語られた。

「絶景でしょう」。さらに進むと、善端さんが誇らしげに話しかけてこられた。七尾市街から美しい能登島まで一望できる袴越からの眺望である。七尾城跡を代表するビューポイントといってよい。古代の国府・国分寺や中世の守護所、そして前田氏が築いた小丸城跡など、能登の歴史を動かした場所が、まさしく手に取るように見える。

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しばらく歩くと、道端に水の手と思われる湧水ポイントにさしかかる。そして寺屋敷を右手に眺め、再度調度丸に至る。ここからは最後に取っておいたお楽しみの本丸をめざす。遊佐屋敷から本丸へと向かうが、ここの石垣はどうも腑に落ちない。
積み方が一部江戸時代以降の技術を感じさせるものがあり、とても当初のものとは思えないのである。おそらく、整備事業の繰り返しの中でこのようになったのではないかと想像した。雪深い自然環境などを考慮すると、当時の技術のままの遺跡保存は難しいのかもしれない。

ついに、本丸である。ここも袴越に劣らないビューポイントだ。本丸の奥には天守台を思わせる立派な高まりがあり、城山神社が鎮座する。おそらく、前田氏段階には天守に相当する重層建築が建造され、七尾の町を睥睨したのであろう。
「聞きしに及び候名地、賀(加賀)・越(越中)・能(能登)の金目の地形と云い、要害山海相応し、海頬島々の躰までも、絵像に写しがたき景勝までに候」。天正4年、越後の戦国大名上杉謙信は能登へ侵攻し、七尾城を囲んだ。翌年、畠山重臣が上杉方に内応して、ついに七尾城は落城した。謙信が当城に入城し、本丸から望んだ風景を漢詩に託したといわれるが、その一節を引用した。本丸に立つと、この漢詩の意味が胸に響く。
このように、私たちは少しイレギュラーなルートを辿って約1時間の城廻りを楽しんだ。実に熱心にガイドをしていただいた善端さんがお勤めの七尾市教育委員会では、ごく最近に七尾城再現CGを公開している(七尾市教育委員会文化課のウェブページからもアクセスが可能)。ぜひ、ご覧いただきたい。

文/藤田達生
昭和33年、愛媛県生まれ。三重大学教授。織豊期を中心に戦国時代から近世までを専門とする歴史学者。愛媛出版文化賞受賞。『天下統一』など著書多数。

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