文・写真/パーリーメイ(海外書き人クラブ/欧州在住ライター)
言わずと知れたビール大国チェコ。ひとり当たりの消費量は、30年連続でトップだ。首都プラハのレストランなら、物によってはドラフトビールが1杯(300ml)およそ270円から飲め、ソフトドリンクやコーヒー紅茶なんぞより安いことも。
そのうえ同国には世界で最も普及し、日本人にもなじみ深いラガービールの元祖「ピルスナーウルケル(Pilsner Urquell)」がある。
海外のとあるドリンク専門誌では、「樽から直に注がれる新鮮な無ろ過ラガーを試しに、醸造所まで行く価値大」とも紹介されている。
これはたまらない。チェコ、ピルゼン市まで足を運ばぬ理由がどこにあろうか。
その昔、ピルゼンのビールは不味かった
ピルゼン駅から徒歩7分。重厚な門を抜けると、「ピルゼン・ビール醸造所(Plzeňský Prazdroj Brewery)」敷地内には、クリーム色の外壁が印象的な、醸造所やレストランが左右に並ぶ。
醸造所見学試飲ツアー(大人380チェココルナ=約2500円)は、左手前のビジター・センターから始まる。
モノクロ地図や、黄ばんでいまにも千切れそうな書類。そして、光輝く数々の受賞メダルが収められたガラスケース。それらを前に、ピルゼンの歴史とピルスナーウルケルの誕生秘話を聞いていると、心は束の間、19世紀初頭へといざなわれる。
いまや世界のビール市場を席巻するピルスナー種。その大元であるピルスナーウルケルが生まれた背景には、当時のピルゼンビールへの失望があった。
醸造権を持つ市民たちが、交代で作っていたピルゼンのビールは、味や作り方にバラツキが生じ、評判は低迷するばかり。汚名返上を目指し、彼らは奔走した。
共同で新たな醸造所を設立し、隣国ドイツ・バイエルンから凄腕の2代目ビール醸造家、ヨーゼフ・グロルを招いた。
なお、これらの経緯は、同センター入り口にある日本語冊子『ピルゼン・ビール醸造所見学案内』にも記されている。説明を聞き逃しても安心だ。
ピルスナーの源泉「ウルケル」の誕生
当時のチェコビールは、常温で発酵させる上面発酵が主流。甘みが強く、香味づけされたものが一般的だった。そんな中、グロルは母国の伝統技法である、低温発酵の下面発酵醸造を導入。
ヨーロッパでは珍しいピルゼンの軟水、“モルトの中心地”ことモラビア産の大麦、そしてザーツ種ホップを下面発酵酵母と組み合わせ、すっきりと爽やかな味を生み出した。
特筆すべきはその色だ。見慣れた褐色ではなく、黄金色に輝く、透き通った液体ができ上がったのだ。クリアな色を愛でるため、陶器ではなくガラスで飲むという新たな文化を生み、やがて世界へ広まった。
歴史遺産と最新鋭設備の対比が興味深い、醸造所見学ツアー
19世紀の物語から現実に戻り、ビジター・センターをあとにすると、土産ショップ横の車庫で待つツアーバスへと向かう。
醸造所には、旧門をはじめチェコの歴史遺産として重要な建物がいくつか残っている。瓶詰め工場へ移動する途中、バスの車窓越しに見えた給水塔もそのひとつだ。
「1907年に、オランダの灯台をモデルに建てられたもので……」という説明にボンヤリ耳を傾けていると、突然「絞首刑が行われた、死刑場跡なんですよ」という、思いがけない言葉が飛び込んできた。
まるで怪談のようだが、それもまた、この地に刻まれた歴史の一端である。
一方、敷地内最大の面積を誇る瓶詰め工場では、おびただしい数の瓶がベルトコンベア上を流れていた。
ドイツ製の最新鋭の機械が備えられた生産ラインでは、1時間に12万本ものボトルを処理するという。
白い蛍光灯の明るさから一転、照明を落としたシックな原料展示室では、映像や顕微鏡画像を見るだけでなく、麦芽(モルト)やホップを手に取り、味見することも可能だ。
口にしてみると、香ばしいモルトは滋味深く、案外ポリポリとおつまみ感覚で食べられる。
これぞピルスナーウルケル! 唯一無二の「3回糖化法」
ホップの苦味と、カラメルのような甘さの組み合わせが絶妙なピルスナーウルケル。しかし、「決して万人受けする味ではない」と、ガイドのトリシャさんは言う。
裏を返せば、独自性にあふれる味という意味にもとれるが、そのカギは伝統的な仕込み法にあった。
すりつぶした麦芽と、湯を混ぜて糖化させるマッシングを3度。ホップを加えて煮沸する作業も3度と、ここまでトリプルにこだわるビールは極めてまれだ。
通常は省かれる工程を経たピルスナーウルケルは、コクと甘みが増し、独特な味わいになる。ツアー終盤に試飲する無ろ過の味は、「さらに異なる」というのだから、ワクワクが止まらない。
変わらぬ味を守り続けて180年以上。ピルゼン・ビール醸造所のこだわりとは
50か国以上で販売されているピルスナーウルケルは、すべてここ、ピルゼン・ビール醸造所で造られる。1842年以来180年以上もの間、変わらぬ味と品質はどのように保たれてきたのか。
その秘密は地下醸造室にある。近代的なステンレス製タンクが導入される1992年まで、黄金のラガーは地下に置かれた木樽で発酵と熟成が行われていた。この伝統製法は、いまも一部で続いている。
通常、工場見学ではタンクの蓋を開けて中を覗かせてもらうことが多いが、この地下にある大樽の蓋は、すでに開いた状態。芳しい香りが漂うなか、上から眺めると焼きプリンの表面のような、焦げ茶の液体が見える。
製造現場を地上に移した際、味の変化をもっとも恐れた醸造家たちは、地下と地上の両方で醸造する「並行醸造」を採用。元祖グロルの味を基準に、タンク内の味と比較し品質を維持した。
3度の糖化同様、手間を惜しまず不変の味を守ること、それこそがピルスナーウルケルの揺るがぬ信条なのだ。
無ろ過ビールで現地式に乾杯
2018年から日本での輸入販売を手がけるアサヒビールによると、ピルスナーウルケルは「濃厚かつクリーミーでしっとりとした泡」が特徴のひとつだそうだ。
しかし、残念ながらその魅力が十分に伝わる写真は撮れなかった。
というのも試飲時は、受け取った空グラスを手に整列し、貯蔵樽から直注ぎしてもらうのだが、このとき栓は開けっぱなしなのだ。
貴重な黄金の液体を1滴たりとも無駄にしないよう、胸をバクバクさせながらチャンスを待ち、ひとたびグラスを満たしたら、ベルトコンベア式にさっと移動しなければならない。
「Na zdraví!(ナ・ズトラヴィー)」
とチェコ語で乾杯し、まずはモコモコの真っ白な泡を唇で確認。なんとか残りのビールを撮影できたのは、テーブル代わりにしたビア樽の上で。
そのあとは爽快な黄金層を、ガブリガブリと喉を通過させ、贅沢に消化。少々慌しくはあるが、「新鮮な無ろ過ピルスナーウルケルを堪能する」という、当初の目的は果たせた。
最後に、かつて商品を氷で冷やして管理していたという、岩でできた巨大な天然冷蔵室を見て、ツアーは完了だ。
「液体のパン」とも呼ばれるほど栄養価の高いビールは、長い歴史のなかで、ヨーロッパを中心に各地で重宝されてきた。
それぞれの国で独自の味が生まれたが、“ビールの王都”として、ピルゼンがピルスナーを世界に広めた功績は大きい。
「チェコの誇り」という言葉が、深く耳に残る110分であった。
Pilsner Urquell Brewery: U Prazdroje 64/7, 301 00 Plzeň, Czech Republic https://www.prazdrojvisit.cz/en/
ピルスナーウルケル https://www.pilsnerurquell.com/ja/
文・写真/パーリーメイ
2017年よりロンドン郊外在住のライター。ヨーロッパの観光情報を中心にイギリスの文化、食、酒などについて執筆。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。