文・写真/坪井由美子(海外書き人クラブ/海外プチ移住ライター)
「とりあえず一杯」というと普通はビールを思い浮かべることだろう。しかしフランクフルトではちょっと事情が違う。「飲みに行こう」といえば地酒のアップルワインのことだし、ビールを置いてない飲み屋も少なくない。ビール大国ドイツにおいてビールより人気のリンゴ酒とは、そんなにおいしい飲み物なのだろうか。現地でリンゴ農園や市場、酒場をめぐり、伝統のソウルドリンクの魅力を探ってみた。
無形文化遺産となったアップルワイン
リンゴはドイツを代表する農作物で、一番消費量が多い果物だ。市場には何種類ものリンゴが並び、そのまま食べるほか、ケーキやジュース、リンゴ酢、料理などに幅広く使われている。リンゴ酒の産地として有名なフランクフルトのあるヘッセン州では、約60の醸造所で年間4千万リットルものリンゴ酒が生産されているという。
アップルワインはドイツ語でアプフェルヴァインというが、ヘッセン州では方言でエッヴェルヴァイと呼ばれ、フランクフルトでは「エッヴェルヴァイ・エクスプレス」なる観光電車も走っている。2022年には、アップルワインに関連する伝統がユネスコ無形文化遺産に登録された。
日本からの直行便も到着するフランクフルトは世界の金融機関が集まる経済の中心都市だが、そんな都会にもかかわらず、ちょっと足をのばせば緑や農地が広がっている。フランクフルト中心部から地下鉄とバスを乗りついで約30分。ロールベルク地域にある果樹園「MainÄppelHaus」(https://www.mainaeppelhauslohrberg.de/)を訪ねた。
ロールベルクの丘には自然豊かな公園が整備され、暖かい季節はハイキングやサイクリングを楽しむ市民で賑わう。市街地を望む丘の上に広がるのは有機栽培のリンゴ畑。敷地内にあるショップには、アップルワインやジュース、チップスなど様々なリンゴ製品が並ぶ。非営利の協会により運営されるこの果樹園は、地域のリンゴ文化の継承とともに市の自然保護情報センターとしての役割も担っており、リンゴジュース造りなどのワークショップが好評のようだ。
果樹園の隣には市内唯一のワイナリーのブドウ畑が広がる。生産量が少ないため他には出回っておらず、直売所でのみ購入可能。併設のカフェでも飲み物や軽食が提供されているが、あいにく訪問時は営業時間外だったので、市街地に戻って味わうことにした。
市場で「とりあえず一杯」のアップルワイン
木曜日か土曜日にフランクフルトにいるならば、コンスタブラーヴァッヘの青空市場は見逃せない。ショッピング街として有名な大通りツァイルの東端にある広場には、フランクフルト近郊の50あまりの農家が集まり、新鮮な旬の食材を求める人々で大賑わい。飲食スタンドでは、地元の人たちがアップルワインのグラスを片手になんとも楽しそうだ。とりあえず一杯やろうとオーナーらしきおじさんに頼んだところ、大きな樽からグラスにあふれんばかりに注いでくれた。
専用の切り子のグラスはゲリプテスと呼ばれるもので、複数で飲む場合はベンベルという陶器のピッチャーで提供されるのが伝統だ。生のアップルワインは独特の酸味が特徴で、フランスのシードルのような炭酸はほとんど感じられず、炭酸水やジュースで割って飲んだりもする。度数は5~8度前後で普通のワインよりは低いが、爽やかな喉越しと周りの雰囲気につられてついごくごくと飲んでしまい、いささか酔っぱらってしまった。
おいしくておしゃれ! 進化するクラフト・アップルワイン
ほろ酔い気分で、アップルワイン酒場が集まるザクセンハウゼン地区へ向かう。まだ早い時間なので酒場は閉まっているが、昔ながらの石畳の路地を歩き回っているだけで楽しくなってくる。気の向くままに散策していたら、風情ある木組み建築を発見。「Apfelweinkontor」(https://www.apfelweinkontor.com/)の看板に誘われドアを開けた途端、思わずうわ~と声を上げてしまった。
フランクフルトで一番古い家だという歴史的建造物の壁一面に、おしゃれなデザインのアップルワインのボトルがぎっしり。その横には、それぞれ絵柄が違う大小様々なベンベルが並んでいる。絵付けの途中だったベンベル・アーティストのダイアナと、オーナーのヨーゼフがにこやかに迎えてくれた。
二人にすすめられるままにアップルワインの試飲会が始まる。スタンダードな辛口から蜂蜜のような風味が感じられるまろやかなタイプ、華やかなスパークリングワインまで。酒場で飲むのとは一味もふた味も違う奥行きのあるおいしさに、大衆的なリンゴ酒のイメージがひっくり返る。クラフト・アップルワインの世界がこんなに進化していたとは。
後日、同店のワインを日本へ持ち帰り、友人たちにふるまったところ大好評。これからはドイツのお土産の定番になりそうだ。
アップルワイン酒場探訪
夜はいよいよ、昔ながらの酒場へ。ザクセンハウゼンの飲み屋街で店先にトウヒのリースがかかっていれば、「アップルワインありますよ」という意味だ。昼間の散策で目を付けていたのが「Frau Lauscher Apfelweinwirtschaft(ラウシャー夫人のリンゴ酒場)」(https://www.frau-rauscher.com/)。店の隣には、リンゴ酒の行商人だったというラウシャーおばさんの銅像が立ち、ちょっとした観光名所になっている。
広い店内は、すでにベンベルのアップルワインをいくつもお代わりしたであろう陽気な人々で大賑わい。人気メニューはチーズがとろりとかかった特製シュニッツェル。フランクフルト名物の爽やかなグリューネゾーセ(7種のハーブの緑色のソース)と絶妙のハーモニーだ。アップルワインとの相性も抜群で、あっという間に完食完飲してしまった。
すっかり良い気分になって、一日をふり返る。市場でとりあえず一杯、からのおしゃれなクラフト系飲み比べ、そして酒場でしめの一杯。強くもないのにこんなに飲んでしまったことに我ながらびっくりだが、アップルワインのおかげで素顔のフランクフルトに出会い、地元っ子の仲間入りができたような気がする。
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日本ではドイツのアップルワインはあまり出回っていないのが残念だが、あの雰囲気、あの楽しさは現地ならではのものだと思う。フランクフルトを訪れる機会があれば、ぜひ酒場を訪れて地元のひとたちと交流し、アップルワイン文化を丸ごと味わってみてほしい。
文・写真/坪井由美子 ライター&リポーター。ドイツ在住10数年を経て、世界各地でプチ移住や語学留学をしながら現地のライフスタイルや文化、グルメについて様々なメディアで発信中。著書『在欧手抜き料理帖』(まほろば社)。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。