文・写真/御影実(オーストリア在住ライター/海外書き人クラブ)
アルプスの美しい湖畔の町として知られる、世界遺産ハルシュタット。岩塩が豊富に含まれる鉱脈に恵まれたこの地域では、古くから根付く塩の採掘の歴史が古代文明の礎となり、山間の小さな町に富をもたらしてきた。
このハルシュタットからほど近いところに、「アルタウスゼー塩鉱山」がある。世界の美術ファンが驚嘆する、知られざる歴史を秘めた塩鉱山の坑道を見学し、この鉱山に隠された驚くべき歴史を解き明かしてみよう。
塩鉱山の坑道を歩く
塩の歴史は、人類の歴史だ。中世より古い採掘の歴史があるアルタウスゼー塩鉱山は、オーストリア最大の採掘量を誇る現役の岩塩鉱だ。ここで採れた岩塩は、地域の製塩所へ送られた後、オーストリアの一般家庭の食卓に並ぶおなじみの食塩となる。日本にも輸入される「オーストリアアルプスの岩塩」の多くは、この塩鉱山で採掘されたものだ。
早速、白い防護服を着用し、塩鉱山の長い坑道に足を踏み入れてみよう。
トロッコ列車のレールが敷かれた坑道を歩くうちに、岩肌は薄いピンク色の岩塩へと変化する。観光客の多いハルシュタットの塩鉱山と比べ、アルタウスゼーの塩鉱山はアットホームな雰囲気でゆったり見学できるため、歴史や自然の神秘を身近に感じるには最適だ。
2.5キロメートルもある坑道は、気温も低く、岩肌もむき出しだ。坑道内では、鉱夫たちのために作られた美しい岩塩チャペルや、水をたたえた神秘的な地下湖が見学できるほか、採掘の際に使用された木製の滑り台を滑り降りるスリル満点な体験もできる。
ナチスに没収された「略奪美術品」
アルタウスゼー塩鉱山は、ヨーロッパの美術史にとって重要な位置を占めている。なんとこの鉱山は、第二次世界大戦中、ナチスが貴族や富豪、教会や修道院などから没収した、いわゆる「略奪美術品」の隠し場所となっていた過去がある。ミケランジェロ、フェルメール、ルーベンスなど、全人類の宝とも言える美術品が、敗戦直前の数年間、人知れずこの鉱山に隠されていたことになる。
その中でも最も貴重なものが、ミケランジェロの彫刻『ブルージュのマドンナ』や、15世紀フランドル派の画家ヤン・ファン・エイクによる『ヘントの祭壇画』だ。そのほかにも、フェルメールの『絵画芸術』(現ウィーン美術史美術館所蔵)、『天文学者』(現ルーブル美術館所蔵)やルーベンスの『エレーヌ・フールマンと子供たち』、フラゴナールの『ぶらんこ』、ティントレットの『ロトとその娘たち』、レンブラントの『銀貨30枚を返すユダ』、ブリューゲルの『盲人の寓話』など、現在は世界中の美術館に所蔵されている作品たちが、この鉱山に隠されていた。
ヒトラーは、これらの略奪美術品たちを展示する「総統美術館」を、オーストリアの都市リンツに作る計画を進めていた。その展示予定品を一時的に保管する場所として、年中温度と湿度が一定に保たれ、地下深く入り組んだアルタウスゼー塩鉱山は、最適な隠し場所だったのだ。
「総統美術館」計画は着実に進行し、1943年以降この鉱山には、ヨーロッパ中から数々の貴重な美術品が運び込まれた。絵画6500点や彫刻130点の他、中世の武器、楽譜の手稿、書物、金貨など、その数は9000点を超えた。
現在日本で所蔵されているボッティチェリの『シモネッタ・ヴェスプッチ』もここにあったほか、ブルックナーの交響曲第八番や、モーツァルト、シューベルト、リストの手稿も、書類の箱に収められていた。
世界に名だたる美術品がひそかに運び込まれる中、敗戦の色が濃くなった1945年4月10日、「大理石 取扱注意」と書かれた8つの木箱が、ナチス高官の命令で坑道に運び込まれてきた。中身は大理石ではなく、各箱500キロにも及ぶ大量の爆発物だった。
敗戦と同時に美術品を塩鉱山共々爆破する、というナチスの計画に気づいた鉱山所長は、軍の高官の説得を試みる。しかし逆にナチス高官は兵隊を派遣し、爆発物を見張らせ、さらに警備を拡大した。鉱山所長や鉱夫たちは、兵隊たちに直接美術品の重要さを説き、爆弾が爆発すると、美術品だけではなく塩鉱山自体が壊滅すると訴えた。
4月30日のヒトラー自殺の報を受け、とうとう爆発物着火の命令が発令され、爆発担当兵の到着が秒読みとなった。このことを知った鉱夫たちは、5月3日の夜中から20時間かけて爆発物を運び出し、森の中に隠した。監視兵たちは見て見ぬふりをしてくれていた。作業の仕上げに坑道入り口部分を爆破し、再び爆発物を運び入れることができないように封鎖した。こうして美術品と塩鉱山は、守られたのだ。
5月8日、アメリカ軍が到着し、鉱山内の美術品はドイツのミュンヘンに運ばれた後、元の持ち主や美術館、教会、修道院に返却された。
アルタウスゼー塩鉱山に隠された世界的美術品たちは、こうして塩鉱夫たちの力によってふたたび日の目を見ることができるようになったのだ。
まとめ
ミケランジェロやルーベンスによる世界の名だたる美術館に並ぶ名画たちは、アルタウスゼー塩鉱山の真っ暗な坑道の中で、第二次世界大戦中終わりを待っていた。
いま私たちがウィーンの美術史美術館や、パリのルーブル美術館でこれらの美術品を鑑賞することができるのは、アルタウスゼー鉱山の名もなき鉱夫たちの、知られざる功績によるものだ。その数奇な運命に思いを巡らせながら名画たちを眺めると、また違った「美術史」が見えてくるかもしれない。
Salzwelten Altaussee(アルタウスゼー塩鉱山)
住所:Lichtersberg 25, 8992 Altaussee
https://www.salzwelten.at/de/altaussee
文・写真/御影実
オーストリア・ウィーン在住フォトライター。世界45カ国を旅し、『るるぶ』『ララチッタ』(JTB出版社)、阪急交通社など、数々の旅行メディアにオーストリアの情報を提供、寄稿。歴史、社会、文化系記事を得意とし、『ハプスブルク事典』(丸善出版)など専門書への寄稿の他、監修やラジオ出演も。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。