文・写真/御影実(オーストリア在住ライター/海外書き人クラブ)
ユネスコ世界遺産に指定されている、「シェーンブルン宮殿と庭園群」。この宮殿の黄色く華やかな色合いは、「マリア・テレジア・イエロー」と呼ばれ、世界中の人々に愛されている。
しかし、「シェーンブルン」は宮殿だけが見どころではない。その庭園は160ヘクタールもの広さがあり、大半が無料で入場することができる。市民の憩いの場として、近隣住民がジョギングを楽しみ、カフェや散歩道も充実している。この庭園内には、世界最古の動物園であるシェーンブルン動物園や、生垣でできた巨大迷路、日本庭園まである。
この広大な庭園にある「大温室」は、2022年のウィーンフィルのニューイヤーコンサートのロケ地の一つともなったが、この敷地内に「温室」が実は4つも存在することはあまり知られていない。中欧の覇者として君臨したハプスブルク家の夏の離宮であるシェーンブルン宮殿に、なぜそれほど沢山の温室が必要だったのか? 君主の飽くことなき収集癖とヨーロッパの温室ブームを合わせて、その謎を解き明かす。
ステイタスとしての「温室」
一言に「温室」とは言っても、その用途や大きさ、使用される技術にはいくつかの種類がある。温室の中でも、もっとも初期に作られたのが「オランジェリー」と呼ばれる建物だ。その名の通り、寒さに弱いオレンジやレモンなどの柑橘類の植物を、冬の間だけ暖かい屋内に避難させるための施設だ。
17世紀になって、欧州にはオレンジ、ザクロ、バナナなどの果物が輸入され始めた。フランスの王侯貴族は、非常に高価だったガラスを使ってオランジェリーを建て、果樹だけではなく、その入れ物である建物すらもステイタスシンボルとなった。
ウィーンでも18世紀初め、フランス出身の貴族オイゲン公が、ベルヴェデーレ宮殿の一角に屋根が取り外し可能なオランジェリーを作ったが、ハプスブルク家がオランジェリー建築に手を付けたのは比較的遅かった。
ハプスブルク家当主「女帝」マリア・テレジアの夫で、神聖ローマ皇帝だったフランツ一世は、自然科学愛好家だったことで有名だ。18世紀中ごろにはカリブ海探検隊に命じ、命がけで大量の珍しい動植物を持ち帰らせた。世界中から集めた莫大なコレクションが、現在のシェーンブルン動物園や自然史博物館、オランジュリーの礎となっている。
シェーンブルンのオランジュリーは、ヴェルサイユ宮殿のそれに次ぐ大きさだ。床下には、「ローマ式ハイポコースト」と呼ばれる、温風で床を温める床下暖房が作られ、現在も使用されている。
当時は、冬には柑橘類の植物を運び込み、温度管理人が寝泊まりして、室内の温度が下がりすぎないよう細心の注意を払っていた。ここには、マリア・テレジアが結婚祝いにトルコのスルタンから送られた300歳近いギンバイカがまだ現存しているが、これも三世紀に渡る温度管理のたまものだ。
オランジェリーには、植物倉庫、ステイタスシンボルとしての建築の他に、イベントスペースという機能もあった。
ヨーゼフ二世の時代には、このオランジェリー内で、モーツァルトが宮廷楽長サリエリと御前演奏を行ったことでも知られている。モーツァルトはジングシュピール「劇場支配人」を、サリエリは「はじめに音楽、次に言葉」を演奏した。現在この建物の一部では、観光客用のクラシックコンサートが日々上演され、歴史的な演奏会場で音楽を楽しむことができるようになっている。
オランウータンが住む温室
植物収集愛好家フランツ一世は、オランジェリーとは別に、植物園と併設した一面ガラス張りの温室を建てていた。その増設部分のみが現存していて、現在は変わった用途で使用されている。
ここは、建物の一面のみがガラス張りだったため、十分な光量を確保することができず、温室としては早々に利用されなくなった。その後、映画スタジオとして利用された後、現在は「シェーンブルン動物園」の一部となり、オランウータン舎として訪問者を楽しませている。「ORANG.erie」と名付けられたこの建物は、オランウータンとオランジェリーを掛けたネーミングで、この建物の出自を思い出させてくれる。
シェーンブルン庭園内の第三の温室も、動物園の一部として、現在は動物や植物の住処となっている。1904年建造の、通称「日時計の家」だ。19世紀末に外交官で植物学者だったカール・フォン・ヒューゲルのコレクションを収容するため建設され、南国の植物が多く収められた。現在は「砂漠の家」と名を変え、動物園の一部として、爬虫類や砂漠の植物が展示されている。
「ハプスブルクのガラスの家」パルメンハウス
四つの温室の中で、最も大きく有名なのが、「パルメンハウス」だ。2022年にこのパルメンハウスは140周年を迎え、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートのロケ地となったことは記憶に新しい。
このひときわ目を引くガラス張りの大温室は、1882年に皇帝フランツ・ヨーゼフの時代に建設された。最新鋭の鉄骨の全面ガラス張り建築で、当時世界最大の温室建築だ。建物の高さは25メートルもある。
ハプスブルク家は、離宮シェーンブルン宮殿だけではなく、王宮にも巨大な温室を所有していた。こちらも「パルメンハウス」の名で、現在はカフェと蝶博物館となっている。
パルメンハウスとは、直訳すると「ヤシの木の家」だ。建築技術が進歩したため、ヤシの木のような巨大な木も収容し、全面ガラス張りで光量も十分確保した上で、帝国の威光も存分に顕示できる、最新式の「温室建築」の建設が可能となったのだ。
第二次大戦の爆撃で一度大破したこのパルメンハウスは、戦後安全面も十分に考慮して補強され、現在の美しい姿を見せている。内部は三つの温度設定がある環境に分かれ、それぞれアジア、南米や地中海、熱帯地方など、世界各国から集められた4,500種類もの植物が栽培されている。有料で内部見学が可能なほか、イベントスペースとしてレンタルすることも可能だ。
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シェーンブルン庭園に四つもある温室。それは、ハプスブルク家の世界を股にかけた植物収集の展示場となっているだけではなく、その貴重で豪華な建造物自体が、世界の王侯貴族の富の象徴でもあった。
シェーンブルン宮殿を訪れた際には、宮殿本体だけではなく、庭園の隅々まで散策してみるといいかもしれない。知られざるハプスブルク家の様々な側面に触れることができるだろう。
文・写真/御影実
オーストリア・ウィーン在住フォトライター。世界45カ国を旅し、『るるぶ』『ララチッタ』(JTB出版社)、阪急交通社など、数々の旅行メディアにオーストリアの情報を提供、寄稿。監修やラジオ出演も。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。