文・写真/バレンタ愛(海外書き人クラブ/現オーストリア在住、前カナダ在住ライター)
ウィーンにはたくさんの5つ星ラグジュアリーホテルがあるが、その中の1つ「ホテルインペリアル」は、国内外から格式高い歴史あるホテルとして知られている。開業以来、世界中の王皇族や著名人に愛された続けているホテルには、たくさんの興味深い知られざる歴史的ストーリーがある。
まずはウィーンの街の成り立ちと、ホテルの歴史から見ていこう。
ウィーンの街は、周りが城壁に囲われていたのだが、1855年にその壁は取り壊され、その後に環状道路が登場した。その環状道路はリング通りと呼ばれ、内側は美しい街並みが残る旧市街として世界遺産にも指定されている。リング通り沿いには、国会議事堂や市庁舎、オペラハウスなどの重要な建物が次々と建てられた。現在ホテルインペリアルとなっている建物も、1866年にリング通り沿いに登場した。当時はホテルとしてではなく、ヴュルテンベルク家の宮殿として、フィリップ・フォン・ヴュルテンベルクが3年の月日をかけて1866年に完成させたものだった。
万博博覧会開催と同年、1873年にホテルインペリアルとしてオープン
完成から6年後の1872年、ウィーン万国博覧会に先立ち、多くの宿泊施設を用意しなければいけないというタイミングで宮殿は売却される。そして万博博覧会開催と同年、1873年にホテルインペリアルとしてオープンしたのだった。宮殿として建設されたこのホテルは、他の多くのホテルとは構造が異なり、スイートルームは下階に、そしてスタンダードルームの多くが上階にある。その理由は、宮殿の持ち主一家が居住空間として使用していた広いスペースが下階にあり、エレベーターのない時代に宮殿の労働者達が、スペースの狭い上階に住んでいたことに関係する。
1873年のウィーン万国博覧会は、歴史的に見ても重要な意味を持つ。当時の皇帝フランツ・ヨゼフの即位25周年の記念の年という事もあり、今までにない規模での万博開催を決定、日本が公式参加した初めての万博博覧会でもある。そしてこの博覧会を通じてヨーロッパにジャポニズムが広まり、ウィーンの世紀末芸術にも影響を与えて行くのだった。万博開催中には、当時のブラジル皇帝ペドロ2世 や、デンマーク王だったクリスチャン9世が滞在するなど、ホテルインペリアルは営業開始当時から王皇族に選ばれる場所だった。
そして開業してすぐ、ホテルは世界的な政治事情に対応するスキルも試される。ホテルが開業する2年前、1871年に終結したばかりの普仏戦争は、プロセイン王国の勝利で幕を閉じた。そのプロセイン王国当時の首相であったオットー・フォン・ビスマルクと、普仏戦争のうちの1つ、セダンの戦いに自身も参加していて負傷、その後フランス大統領に選出されたパトリス・ド・マクマオンが、なんと同時期にこのホテルに宿泊する事態になってしまったのだった。そこでこのホテルは、バスルームが2つ設置されているロイヤルスイートルームを2つに分け、真ん中の部屋のドアを閉鎖したのだ。それによって2人とも最上級の部屋に宿泊しつつ、滞在中お互いに顔を合わせることはなかったという。建物の構造を上手く使い、どちらのゲストも断る事なく、問題なく滞在させることが出来たのは、様々な意味においてホテルの対応力があったからこそだろう。
ホテルの歴史に名前を刻んでいるのは、王皇族や政治家だけではない。昔から著名な音楽家も滞在し、ホテルはそれぞれのゲストに合わせて対応してきた。1875年、バイロイト音楽祭が始まる1年前にはリヒャルド・ワーグナーが数週間に渡って滞在し、タンホイザーとローエングリンを編曲。部屋の中にグランドピアノを設置し、昼夜を問わず編曲作業を続けたが、他の客が文句を言う事はなかったという。
フランツ・ヨゼフ皇帝は、宿泊している王皇族や政治家に会う為に、このホテルを良く訪れていたそうだ。その為、皇帝がエリザベス皇后に宛てた手紙の中にも、ホテルインペリアルの名前は何度も登場している。その中の1つに1894年、小松宮彰仁親王が宿泊した時にも「日本のプリンスに会いに行くも会えなかった」と書いている。 日本の皇室関係者の滞在記録が、インペリアルの歴史の中に登場したのはこの時だけではない。1931年には「日本のプリンスと入れ替わりに、チャーリー・チャップリンが3泊の予定で到着した」と記されている。チャップリンは約4000人の大歓声に迎えられる。そして無声映画のスターとして知られていた彼が、初めて声を出して「Guten Tag」(ドイツ語で「こんにちは」の意味)とメディアの取材に応じたのも、このホテルインペリアルでの記者会見だ。そして彼は3泊したロイヤルスイートルームを「今まで見た世界中のどのホテルの部屋よりも美しい!」と褒めたたえた。
ヒトラーがホテルに、鍵十字の旗を掲げることを要求
1938年には、このホテルも第二次世界大戦に巻き込まれる。ヒトラーがホテルに到着し、鍵十字の旗を掲げることを要求したが、拒否したホテルマネージャーStefan Plankは失職した。第二次世界大戦が終了した1945年から10年間、ウィーンは連合軍の支配下に置かれ、ホテルはソビエト軍の司令部とされていた。ソビエト軍が1955年に撤退した後、オフィスビルになりかけたり、一時期モダンで質素なホテルとされた時期もあったが、戦後Stefan Plankもホテルに復職、1957年ホテルインペリアルは元の美しい姿を取り戻した。
今でも偉大な指揮者の1人とされるヘルベルト・フォン・カラヤンは、1956年にウィーン国立歌劇場の総監督となったが、ウィーンに居る時はこのホテルを拠点としていた。ある日、カラヤンがシャワーを浴びようとした時にお湯が出なくなった事があり、ホテルの支配人がホテルオリジナルブランドのコーヒーのセットをお詫びに送った。カラヤンはとても気に入り、それから毎回カラヤンが滞在するたびにそのコーヒーが送られ続けたという。
1961年冷戦の最中、ソビエト連邦の最高指導者であったニキータ・フルシチョフと、アメリカ大統領ジョン・F・ケネディーがウィーンで話し合いを持った「ウィーン会談」。ニキータ・フルシチョフは、ウィーン滞在最後の夜に、たくさんの政府関係者を招いてインペリアルホテルで晩餐会を開催した。ホテルの歴史を通じて、世界史に残る会議の裏側が見えてくるのもまた面白い。
1969年にイギリスのエリザベス女王も、このホテルに滞在している。その際、ロイヤルスイートルームの家具は、全て王宮家具博物館所有のものと交換された。女王は5泊滞在し、滞在中の特別待遇への感謝の印に、全ての従業員にプレゼントを送った。
1972年と1976年にはエリザベス・テイラーが滞在。他にもフランク・シナトラ、マイケル・ジャクソン、プリンスなど歴史に名を遺す著名人に愛された。パヴァロッティは国立歌劇場でのオペラ出演前に、サロンのグランドピアノを使ってリハーサルを開始した。この時、偶然居合わせたゲストたちにとっては素敵なサプライズだったことだろう。
2002年には当時の日本の天皇陛下も滞在。ロイヤルスイートルームの外側にあるバルコニーには日本の国旗が掲げられ、ホテルスタッフは総出で天皇陛下御夫妻を出迎えた。エリザベス女王が集まった群衆に挨拶し、日本の国旗が掲げられたロイヤルスイートのバルコニーは、リング通り沿いにあり、ホテルの前を歩くと見上げることが出来る。
そして現在でも、ドイツのアンジェラ・メルケル首相や、ロシアのプーティン大統領など各国首脳もウィーン滞在の際にはインペリアルホテルに宿泊し続けている。ホテルの歴史や、宿泊したゲストとの逸話や写真などはホテルの廊下にパネル展示されている。もしウィーンのホテルインペリアルに来られることがあれば、この廊下を歩き、ホテルの歴史とゲストを追って見るのも面白いだろう。
このホテルを愛しているのは、世界中の王皇族や政治家たちだけではない。ワーグナーが滞在し、パヴァロッティがリハーサルをしたのは前述したが、ニューイヤーコンサートも開催される楽友協会のすぐ隣という事もあり、今でも世界的に有名な音楽家達にも愛され続けている。ホセ・クーラ、リッカルド・ムーティ、エレナ・ガランチャ、ランランなど現在のクラシック音楽界に欠かせない人たちだけではなく、ローリングストーンズ、マドンナ、レディーガガなどクラシック以外の音楽家たちも、このホテルのゲストリストに名を連ねている。このホテルはリング通り沿いにある正面出入口だけではなく、建物の反対側、楽友協会の方にも出入り口がある。そのような建物の構造や立地条件ももちろんだが、長年の王皇族や政治家の滞在を通じて培われてきたホテルの対応力が優れている事が、ジャンルも年月も超えて世界中の著名人に愛され続けている大きな理由だろう。
ホテルに併設されている「Café Imperial Wien」の存在
また著名人がこのホテルに集まるのは、素晴らしい宿泊施設だからという理由だけではない。ホテルに併設されている「Café Imperial Wien」、これもまた著名人がこのホテルに集まる理由の1つだ。ウィーンのカフェは無形文化遺産にもなっているように、ただコーヒーを飲む場所ではなく、昔から文化人達の交流の場所として大事な役割を果たしてきた。このホテルインペリアルのカフェ、Café Imperial Wienも例外ではない。アントン・ブルックナー、ヨハネス・ブラームス、グスタフ・マーラーなど歴史に名を残す音楽家だけではなく、ジークムンド・フロイト、ペーター・アルテンベルグ、カール・クラウスなど文学者、哲学者などが集まり、議論を交わし、刺激を与えあっていたのだ。そして今ではこのカフェは、宿泊ゲストの朝食の場としてだけではなく、地元の人々にもビジネスや交流を深める大切な場所として利用されている。
各国の歴代王皇族や数々の政治家、数々の著名人が歩いた階段を上り、同じホテルに泊まれるのはもちろんだが、宿泊客以外でもカフェやレストランは利用出来る。数々の芸術家・文学家などが集ったカフェで、カラヤンお気に入りのコーヒーを飲み、パヴァロッティが演奏したサロンで優雅な音楽を聴きながらブランチやカクテルを楽しめる。創業時からウィーンの歴史や出来事に深くかかわり、そして今でも世界中の王皇族や政治家、著名人から愛され続けているこのホテルインペリアル。
1つのホテルの歴史から、ここまで世界が広がるとは思ってもみなかった。ここまで世界が広がり、歴史を深く遡れるホテルは世界的に見てもそう多くはないのではないかと思う。とても興味深い歴史ストーリーを持つホテルインペリアル、これからも刻まれ続けていくであろうその歴史がどんなものになるか楽しみだ。
ホテルインペリアル公式サイト
Vienna cafe: the Café Imperial at the Hotel Imperial (marriott.com)
住所:Kaerntner Ring 16, Vienna 1015 Austria
文・写真/バレンタ愛 2004年よりオーストリア、ウィーン在住。うち3年ほどカナダ・オタワにも住む。長年の海外生活とトラベルコンサルタントなどの経験を活かし、2007年よりフォトライターとしても多数の媒体に執筆、写真提供している。海外書き人クラブ(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。