文・写真/小島瑞生(海外書き人クラブ/スイス在住ライター)
今年2023年、スイスは連邦国家175周年を迎えた。そこでブンデスハウス(Das Bundeshaus/連邦議事堂)やプレスセンターの一般開放、連邦国家175周年に関する特別ガイドツアー、そして記念切手の発行など首都ベルンを中心に様々なイベントが行われた。

存在感があまりない? スイスの首都ベルン
ところでスイスという国を知らない人はほぼ皆無でも、「スイスの首都はどこか」と尋ねられてとっさに答えが出ない人は結構いるのではないだろうか。実は私自身、スイスへ移住してくるまでスイスの首都について考えることがなかったので、「スイスの首都? えっと、チューリッヒ? いや違うな、ジュネーブか?」となった。
実際スイスの首都はベルンなのだが、観光でスイスを訪れて初めてベルンがスイスの“首都”であることを知り、驚く外国人旅行者は多いのだとか。

それにしても、なぜベルンがスイスの政治の中心地となったのか。一見すると、ビジネス都市チューリッヒや国際機関が多いジュネーブの方が理に適っているように思える。それに比べ、ベルンはこれら知名度のある都市の陰に隠れ、やや地味な存在だ。
そう考えると “控えめな町”ベルンがどうして一国の首都となったのか、興味をかきたてられる。
そこで、スイスがどのように国家連合から連邦国家へ移行し、そして首都の選定を行ったのかを知るべく、ブンデスハウス内で行われた期間限定の『1848年ツアー』に参加してみることにした。
スイスの国としてのはじまり
1291年8月1日、当時権力を持っていたハプスブルク家による支配に対抗するため、ウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの3国が同盟を結んだのがスイスの始まりとされ、毎年8月1日は建国記念日の祝日となっている。

また国家連合から連邦国家へ移行し、欧州初の民主国家となった1848年もスイスにとって重要な年である。同年11月28日にはベルンが首都と定められたが、これはスイスがそれまで独立した国々の連合体で、実質的な首都がなかったからだった。

ベルンがスイスの首都になったワケ
こうしてスイスは連邦国家として再出発したわけだが、首都選出に関してはスイスの人々の間で意見が対立し、その道のりはなかなか険しかったようだ。まず小さな町は却下とし、さらに首都となる都市への権力集中を回避するため、チューリッヒのように経済力がありすぎる都市より、穏やかで落ち着いた雰囲気の都市が望ましいとされた。
そして国防面から、周辺国国境から離れたスイス中部にあることが理想だった。

そうなるとスイス中部に位置するルツェルンもこれらの条件に合致するが、連邦国家への移行に反対していたこと、そして前年に起きた内戦「分離同盟戦争」で敗北したことで、ベルンが有利となる。
またフランス語圏とドイツ語圏の間にあるベルンは、フランス語圏の州からの支持も高く、さらに首都として必要な不動産の無料提供を申し出たことも選出理由となった。

法律上ではスイスに「首都」は存在しない?
こういった経緯でベルンはスイスの首都となったが、実はスイス連邦の法律のどこにもベルンが首都であると明記はされていない。「連邦議会はベルン」「ベルン市は連邦議会、各省庁、連邦首相の所在地」と記されているだけだ。
だが実際ベルンには連邦議会や省庁、各外国大使館があるため、事実上の「首都」と認識されている。

文・写真/小島瑞生(海外書き人クラブ/スイス在住ライター)
1998年~2009年までアイルランドで暮らした後、2009年からスイス在住。スイスなど欧州の国々のさまざまな興味深い情報を雑誌やウェブサイト、ラジオ等のメディアにて発信中。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。
