文・写真/ハントシンガー典子(海外書き人クラブ/アメリカ在住ライター)

32歳の若さでこの世を去ったブルース・リーが安らかに眠るのは、アメリカ西海岸の都市、シアトル。日本では香港のイメージが強いブルース・リーだが、実はアメリカ生まれ。シアトルには墓地のほかにも、彼の足跡がさまざまな場所に残されている。

レイク・ビュー墓地内のブルース・リーの墓へ。
(Lake View Cemetery 1554 15th Ave E, Seattle, WA 98102 USA)

世界から注目される墓地

シアトル中心地からほど近い、キャピトル・ヒルの住宅街にあるレイク・ビュー墓地。その名の通り、美しい湖を見渡すように墓石が並ぶ。

「世界で訪れるべき墓地」としてトップ10入りし、旅行ガイド『ロンリー・プラネット』や、「トリップアドバイザー」などの旅行系サイトでも取り上げられるのには、理由がある。それは香港映画の伝説的大スター、ブルース・リーの墓。ほとんどの旅行者が訪れる目的と言ってもいい。その数は毎年1万人とも言われる。

ほかの墓石と同様、墓地のささやかな一画に、ひっそりとそれはある。そのため、たどり着くのに少々時間を要するかもしれない。しかし通常は、追悼のイベントや何らかの事情でもない限り、日中の墓地に人がいることはまれだ。もし人や車を見かけたら、そこがブルース・リーの墓という可能性は高い。

1973年に香港で死を遂げ、シアトルで埋葬されたブルース・リー。墓石には写真、名前が入るので間違えることはないだろう。没後50年経った現在も、墓前に花や供物が絶えることがない。隣には息子のブランドン・リーも眠る。撮影中に小道具の銃誤射により28歳の若さで亡くなった。父と同様、将来を期待される中での早すぎる死であった。

この墓地は、南北戦争終結から間もない1872年からの歴史を持つ。1890年に正式にレイク・ビュー墓地と名付けられ、今に至る。そのため、墓石には、シアトルの礎を築いた名士たちとその家族の多くの名が残る。また、第二次世界大戦で命を落とした日系アメリカ人兵士56人の名を刻んだ慰霊碑が1949年に建てられ、毎年5月の戦没将兵追悼記念日に追悼式が行われている。

左の赤みがかった墓石がブルース・リー、右の黒っぽいのは息子のブランドン・リーの墓石。
すぐそばにはベンチが設置されているので、休憩がてらしばし展望を堪能。
白いハート型の墓石を目印に丘を上っていくとわかりやすい。ブルース・リーの墓はその後ろにある。

シアトルでの出会いと学び

サンフランシスコで誕生し、13歳まで香港で過ごした後、1959年に18歳でアメリカへ渡ったブルース・リー。キャピトル・ヒルの隣、かつてアジア系移民が多く住んだファースト・ヒルを拠点とし、キャピトル・ヒルにあったエジソン・テクニカル・スクール(現シアトル・セントラル・カレッジ)に通った。

武術家、ブルース・リーが最初にガレージで道場を開いたのも、このファースト・ヒルだ。1961年にワシントン大学へ籍を移し、哲学を専攻した。この後、1964年に中退し、カリフォルニアへ。同年、ブルース・リーはシアトル出身で門下生のリンダと結婚するが、前述のレイク・ビュー墓地は、まさにふたりが青春を過ごした地に近い。

リンダとは、シアトル最大の観光名所、スペース・ニードルにもデートで訪れている。ふたりが挙式した教会、ユニバーシティー会衆派教会は、ワシントン大学のお膝元、ユニバーシティー・ディストリクトに現存する。

レイク・ビュー墓地は美術館や温室を備える広大な公園、ボランティア・パークに隣接する。遠方にスペース・ニードルを望む、市民の憩いの場だ。
(Volunteer Park 1247 15th Ave E, Seattle, WA 98112 USA)
名門、ワシントン大学のキャンパスは、渋沢栄一ら渡米実業団も訪れたアラスカ・ユーコン太平洋博覧会の跡地に広がる。
(University of Washington 1410 NE Campus Pkwy, Seattle, WA 98195 USA)

シアトル中華街もまた、ブルース・リーに関わりの深い土地である。ブルース・リーは武術学校、ジュンファン・グンフー・インスティチュートをユニバーシティー・ディストリクトで最初にオープンする。その前身となる道場の1か所目は前述の通りファースト・ヒルに開設したが、2か所目と3か所目は、中華レストランの奥や地下を利用していた。そのひとつ、タイ・タン・レストランは彼のお気に入りで、牛肉のオイスターソース炒めをよく食べていたそうだ。

中華街ではウィング・ルーク・ミュージアムにも足を運びたい。ブルース・リーをテーマにした常設展のほか、ミュージアム・ショップではブルース・リーをモチーフにしたグッズの販売もあり、ファンなら訪れて損はないだろう。

タイ・タン・レストランは1935年創業。店内には、ブルース・リー等身大パネルも飾られている。
(Tai Tung Restaurant 655 S King St, Seattle, WA 98104 USA)
シアトルのアジア系コミュニティーの歴史を紹介するウィング・ルーク・ミュージアム。ブルース・リーの家族全面協力で企画された展示も。
(Wing Luke Museum 719 S King St, Seattle, WA 98104 USA)

今も受け継がれるマインド

ブルース・リーの死因は、鎮痛剤副作用での脳浮腫とも、水分の過剰摂取による腎臓機能障害とも言われ、いまだ謎が残る。米エンタメ界では白人至上主義という壁に阻まれ続け、古巣の香港に戻って主演映画を初めて成功させた。米ワーナー・ブラザースとの合作「燃えよドラゴン」でいよいよ凱旋、というタイミングでの突然の死だった。

オリジナルの武術を「ジークンドー」として確立、米エンタメ界に武術を取り込み、後のアジア系俳優の活躍の場を作ったブルース・リー。カンフーブームが起きたハリウッドで、ニンジャやサムライといった日本文化をイメージさせるアクション作品が次々と登場するようになったのは偶然ではない。映画界はもちろん、世界各国の格闘家、クリエーターに大きな影響を与え、近年では香港の民主化運動をも後押しした。

「水になれ、友よ(水のように型にとらわれず生きよ)」を始めとする数々の名言に、ブルース・リーのマインドが表れている。根底にあるのは、ワシントン大学時代に身に付けた哲学の思想だ。読書家で、よくシアトルの湖畔で瞑想をして心を整えていたことも知られる。シアトルで過ごした時間は、その後の武術、俳優としてのキャリア、生き方の全てにつながっている。

Bruce Lee Foundation:https://bruceleefoundation.org
Bruce Lee’s Seattle:https://artsandculture.google.com/story/8wWxpGFCJj1TJQ
Lake View Cemetery:https://www.lakeviewcemeteryassociation.com
Wing Luke Museum:https://www.wingluke.org

文・写真/ハントシンガー典子(アメリカ・シアトル在住ライター)
米シアトル在住。エディター歴20年以上。現地の日系タウン誌編集長職に10年以上。日米のメディアにライフスタイル、旅、育児など、さまざまな記事を寄稿する傍ら、米企業ウェブサイトの日本語ローカライズ・編集・コピーライティング業に従事。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。

 


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