文・写真/柳沢有紀夫(海外書き人クラブ/オーストラリア在住ライター)

日本人墓地のシンボルともいうべき「慰霊碑」と「無縁の墓」

そこは距離的には「日本から最も近いオーストラリア」の一つである。だが、たどりつくのにはかなり時間がかかる場所でもある。

オーストラリア大陸の北東端部とパプアニューギニアの間に位置する大小270の島々からなる「トレス海峡諸島」がある。その行政と経済の中心部が「サースデイアイランド」。日本語で「木曜島」と呼ばれる島だ。2021年に行われた国勢調査によると人口わずか2805人。3.5平方キロメートルの小さな島だ。

日本からこの島に訪れるには世界遺産「グレートバリアリーフ」で有名なクイーンズランド州の観光都市ケアンズまで飛び、一日3便の国内線乗り換えて約1時間半。同諸島唯一のホーン島空港で降りて、まずは連絡バスで港に向かい、そこから船に15分揺られてようやく到着する。

日本から距離的に近いわりには、たどりつくことを考えれば「最果ての島」ともいえる。

ホーン島から木曜島に向かう船。海はエメラルドグリーン、いや翠玉色に輝いていた。

だがここにはかなり多くの同胞たちが眠る「日本人墓地」が存在する。しかもそれは第2次世界大戦中に戦死した人たちや捕虜収容所で亡くなった人たちを弔ったものではない。明治から第2次世界大戦にかけて、この小さな島に多くの「一般人」である日本人が暮らしていたのだ。

彼らがオーストラリアの主要都市からも離れたこの最果ての島に居を定めた理由。それは島の周辺で真珠を生む真珠貝や、高級ボタンの原料となる白蝶貝が採取されたからだ。かつてのアメリカ合衆国やハワイ、そしてブラジルをはじめとした南米へ多くの移民が向かったように、この島へも日本人が渡った。その数合計約7000人とも言われる。うち8割が真珠の名産地である和歌山県の出身で、特に串本町の人たちが多かったという。

明治30年頃に在住していた日本人は約1000人。一時は島の総人口の6~7割にも上ったという。潜水資格を持つ者の99パーセントが日本人だった。

農地での労働など低賃金であえいだ人たちが多い北米や南米への移住と違い、この木曜島での労働は真珠や高級ボタンの原料の採取という仕事だけに一攫千金の夢があった。それだけに「片道切符」の移住ではなく、故郷に錦を飾ることができた者もいただろう。

だが一方で作業は危険を伴った。そもそも水深50メートルにも及ぶ場所での長時間の作業である。酸素ボンベなどない当時は船上につけられた「手押しポンプ」を用いて「ホース」で潜水ヘルメット内に空気を送っていた。

そうした中、潜水病や海流による遭難で、木曜島だけで700名の日本人が命を落としたという。その半分以上が21歳以下の若者だった。

隣のホーン島にある「トレス諸島ヘリテージ博物館」に展示されている当時の潜水用ヘルメット。

ではこの日本人墓地に向かってみよう。島の南部中央にあるホーン島からの船着き場から、島のほぼ中央を南北に走る幹線道路「ヘイスティングストリート」を北上。島に2ヵ所ある小学校のうちの一つを越える手前で道は「ローバンストリート」と名称を変える。

島の小さな博物館兼美術館「ガブティチュイカルチャラルセンター」で配布されている島の地図。

南緯10度と赤道からほど近い島だから、昼の太陽はほぼ真上から照りつける。両脇は熱帯の森だが、道路上は日差しを遮るものは何もない。とにかく蒸し暑い。だがこれもまたかつてここに暮らした日本人たちが体験してきた日常だ。

日差しを遮るものは何もなく、蒸し暑い。雲が多いのがせめてもの救い。

そのまま道なりに進み、やがて西向きに進路をとるころには「アプリンロード」と再び名称を変え、島唯一の発電所を超えて300メートルほどで島最大の「木曜島墓地」に到着する。船着場から距離にして1.8キロメートル。徒歩22分ほどだ。

「木曜島墓地」の正門。

白亜の壁でつくられた「木曜島墓地」の正門を入ってすぐ右手が駐車場、そして左手が日本人の眠る一角となる。

まず目に入るのが2つの塔。左が「慰霊碑」、右が「無縁之墓」。島の人によるとお盆にはここを中心にして慰霊祭が行われるという。

草木に覆われた「慰霊碑」と「無縁之墓」。ふと芭蕉の句「夏草や兵どもが夢の跡」が頭に浮かんだ。

2つの塔の奥、先ほど通ってきたアプリンロード沿いに日本人の墓石が並ぶ。正門そばのアクセスしやすい一角。木曜島自慢の海は臨めないが、幹線道路沿いの日当たりのいい場所である。片隅に追いやられていないのは、ここに眠るのが「敵国兵」ではなく、この島の産業をまさに命がけで作り上げてきた「英雄」たちだからだろうか。

この日本人墓地では現在162基の墓の身元が確認されているという。だが墓の姿は様々だ。生四角柱の墓石が垂直にそそり立つ純日本風のものもあれば、プレートのような西洋風のものもある。除草もしっかり行われているものもあれば、雑草に覆われているものもある。中には朽ちかけたものもある。

墓地で最も立派な墓の一つ。
名前は日本人だが西洋風の墓もある。

第2次世界大戦で日本と連合国が戦った激戦区の一つパプアニューギニアに近いこのトレス海峡諸島には、連合軍の空軍基地も設置された。そのため他の島民たちととも日本人たちもオーストラリア本土へと疎開させられた。

戦争終了後も真珠業は続いたが、1960年代に沖合でタンカーが座礁したことにより油が流出。海が汚染されたことで真珠貝は壊滅した。

現在、日本人の子孫もいるが、その数は全盛期には遠く及ばない。墓の状態が様々なのも致し方ないのかもしれない。

雑草に覆われた墓もある。それもまた熱帯らしいのかもしれない。

偶然実現したこの墓参りの最中、それまでの白い雲が浮かぶ空が一変して灰色に変わったかと思ったら、熱帯特有の通り雨「シャワー」が降ってきた。だがそれもほんの10分ほどでまた青空が覗く。それが何を意味しているのか。考えてみたが、たぶん何も意味していない。蒸せるほどの暑さも突然の雨も、おそらくこの島の日常なのだ。150年前も今も。

木曜島を訪れたのは5月初旬。日本人名の表札がある家の庭では、こいのぼりがそよいでいた。

THURSDAY ISLAND CEMETERY
Alpin Road, Thursday Island AUSTRALIA
https://www.torres.qld.gov.au/community/facilities-and-attractions/thursday-island-cemetery

文・写真/柳沢有紀夫 (オーストリラア在住ライター)
文筆家。慶応義塾大学文学部人間科学専攻卒。1999年にオーストラリア・ブリスベンに子育て移住。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)の創設者兼お世話係。『値段から世界が見える!』(朝日新書)、『ニッポン人はホントに「世界の嫌われ者」なのか?』(新潮文庫)、『世界ノ怖イ話』(角川つばさ文庫)など同会のメンバーの協力を仰いだ著作も多数。

 

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