文・写真/御影実(オーストリア在住ライター/海外書き人クラブ)
中世ヨーロッパで一世を風靡した、魔女狩り。オーストリアには、そんな魔女裁判が実際に行われ、「魔女伝説」の残る城があります。
見上げんばかりの岩山の上に建つ、堅牢な城「リーガースブルク城」。この城には、キリスト教界最強の城を作った「女城主」と、実在した「花の魔女」の二人の女性の伝説が残っています。
なぜこの城が今でも「魔女の城」と呼ばれるのか、魔女狩りの史実をひも解きながら、謎に迫ってみましょう。
●アクセスと城の特徴
リーガースブルク城は、ウィーンから車で南へ約2時間。グラーツの東にある中世の古城で、4月から10月まで内部の見学が可能です。
丘の多いこの地域の中でもずば抜けて高いところにあり、その特徴的なシルエットはどこからでもよく見えます。
駐車場からは、急勾配のエレベーターで岩山を一気に登るのが近道です。徒歩ルートは二つありますが、「ロバの道」の方はあまりに急傾斜過ぎて閉鎖されています。
傾斜の緩い長距離コースは、城門をくぐり、ブドウ畑に囲まれながら、ハイキング気分で城を目指すのも気持ちのいいものです。
また、城からは東シュタイヤーマルク州の絶景を見下ろすことができます。取材時は秋の彩り豊かな風景が印象的でした。
●リーガースブルク城の歴史と内観
この城が最初に記録に残されているのは1122年のことですが、この岩山には六千年前から人が住んでいたとされています。0~5世紀ごろまではローマ人の拠点となり、その後も外国勢力からの侵攻を絶え間なく受け続けていた土地です。
立地的にも交通の要所であり、前線でもあったこの城は、多くの城主の手に渡り、たびたびハンガリーやトルコからの侵略にさらされましたが、15世紀半ばの増改築を経て、次第に防御力を上げていきます。
16世紀後半には、後期ルネサンス様式に改築されました。芸術的な天井や扉が「騎士の間」に残され、当時の貴族たちの宴会の様子が再現されています。
そんな中、17世紀には有名な女城主エリーザベト・カタリーナ・ヴェクスラー、通称「ガラリン」が登場します。結婚を三度も繰り返し、当時としては破天荒な人生を送った彼女は、たった25キロ離れたオスマントルコとの国境を前に、大金を投じてこの城を「キリスト教界で最強の城」に作り変えます。
15ヘクタールの城内を囲む3キロの壁と108の部屋は、近隣の住民全てを収容することができた上、5つの門と2つの堀を備え、この城は難攻不落となりました。軍事面だけでなく、建築の美しさにもこだわった女城主は、「建築は美しい欲望だ。そのための費用も知り尽くしている」という名言を残し、「白い広間」と呼ばれる、バロック様式の美しい広間など、建物内部を優美に改築しました。
その後、1882年からこの城はリヒテンシュタイン公爵家の所有となり、現在でもその傍流の一家によって維持管理されています。
城の内部には、豪華な15~17世紀の内装を堪能できる古城博物館のほか、300年の武具の歴史を展示した武器博物館、この城に伝説の残る魔女をモチーフにした魔女博物館の三つがあり、たっぷり一日かけて城の内部を見て回ることができます。
【この城に残る、魔女伝説をひも解いていきましょう。次ページに続きます】