文・写真/新宅裕子(海外書き人クラブ/イタリア在住ライター)
ウィリアム・シェイクスピアの悲劇「ロミオとジュリエット」の舞台、北イタリアのヴェローナ。そこにはジュリエットの家やジュリエットのお墓など、ゆかりの地が多くある。特に有名なのが映画のワンシーンを思い起こさせるバルコニーだろう。しかしながら、これは後から取ってつけられた石棺だということをご存知だろうか。
バルコニーを訪れる前に、まずは大まかなストーリーをおさらいしておこう。
モンタギュー家(伊語:モンテッキ家)の一人息子ロミオは、敵対するキャピュレット家(伊語:カプレーティ家)の舞踏会に忍び込み、その一人娘ジュリエットと恋に落ちる。2人は永遠の愛を誓い合ったものの、両家の争いに翻弄され……。駆け落ちを決めたジュリエットが特殊な薬でわざと仮死状態となったとは知らず、ロミオはジュリエットの墓前で毒を飲んで後を追う。そこで目覚めたジュリエットはロミオの死を嘆き、ロミオの短剣を使って自ら命を絶つ、という命がけの愛の物語である。
「おおロミオ、どうしてあなたはロミオなの」
ジュリエットがロミオへの愛を独白するこのセリフで有名なバルコニーの方へ行ってみよう。ジュリエットの家はヴェローナ旧市街のど真ん中という好立地にある。トンネルのような門があり、潜り抜けた先の右手に家、見上げるとあのバルコニーがあるという造りだ。
一方、ラストシーンとなるジュリエットのお墓は、その家から住宅街のほうへ15分ほど歩いた先にある。
もともと1230年に建てられたフランシスコ会の修道院があった場所で、今ではフレスコ画美術館として改装されているのだが、中庭の階段を下ると薄暗い空間にぽつんと墓石が佇んでいる。家もお墓も、どちらも多くの観光客が拝みに来る聖地として、ヴェローナの代名詞のような役割を果たしている印象だ。
さて、その真実はいかに。
中世の頃にモンテッキ家とカプレーティ家という名の2つの名家が存在していたのはどうやら史実に近いよう。イタリアの著名な詩人、ダンテ・アリギエーリも14世紀初めに発表した「神曲」煉獄編の一節において「地方の名家同士が争いを繰り返している」ことを嘆き、その有名な例えとしてヴェローナの「モンテッキ家」とクレモナの「カッペッレッティ家」の対立を挙げている。(もっとも、その背景にはローマ教皇を支持する教皇派と神聖ローマ皇帝を支持する皇帝派の対立があったわけだ。)
しかしながら、ロミオとジュリエットの存在が確認されたことはない。物語の中ではヴェローナの「カプレーティ家」として登場するジュリエットの出身家も、クレモナの「カッペッレッティ家」から脚色されたと見られている。
そもそも、シェイクスピアによる「ロミオとジュリエット」の初演は1595年頃。実はその120年も前、1476年に南イタリア、サレルノの詩人、マスッチョ・サレルニターノがシエナを舞台に書いた悲恋の物語がそのベースになっているという説が有力だ。そこからヒントを得たイタリアの作家ルイージ・ダ・ポルトが「ロミオとジュリエット」を1530年に発表。さらに、マッテオ・バンデッロなどのイタリアの作家たちが脚色して出版したものをイギリスの詩人アーサー・ブルックが英語とフランス語に翻訳し、それをシェイクスピアが劇用に仕上げたという。つまり、「シェイクスピアはヴェローナに来たことがあるか?」という質問にすら、YESと答えられないわけだ。
では、なぜジュリエットの家やお墓が存在するのか。それは1930年代に遡る。ヴェローナ出身の歴史家アントニオ・アヴェナがヴェローナの町にシェイクスピア・ミュージアムを作るプロジェクトを立ち上げたのだ。実はそれよりも前から、シェイクスピアを誇るイギリスの観光客たちは、ヴェローナを訪れては「ロミオとジュリエット」の聖地を探し求め、推測でこのお墓などを回っていたらしい。それを「ジュリエットのお墓」と正式に位置づけたのがアヴェナ。
家に関しても観光客の期待に応え、ヴェローナの中心地にある13世紀頃のそれらしき建物を「ジュリエットの家」と定めた。(カペッロ家が住んでいた家ということで、その名前の響きが似ていることも決め手になったのかもしれない。)そして、名シーンを再現すべく、なんと市立カステルヴェッキオ美術館の倉庫に眠っていた石棺を運び出し、1937年にバルコニーとして取り付けたのである。
知ってか知らでか、今日ではジュリエットの家を一目見ようと多くの人が行列を成し、恋愛成就のためにそこに立つジュリエット像を触っていく。ヴェローナは愛の町としてのイメージが定着し、カップルにも大人気となっている。
この真実を知ったからといって、決してがっかりしないでほしい。ヴェローナの町は古代ローマ時代から存在し、2000年前に造られた門やアレーナなどの劇場が今でも現役で活躍しているほど、見どころたっぷりの深い歴史を持つ町であることに変わりはない。
愛の町でロマンティックに過ごすのも良し、遺跡巡りで古代ローマ時代に思いを馳せるのも良し。ヴェローナを訪れる際は「ロミオとジュリエット」の聖地以外にも目を向けて、郷土料理やワインも含めて楽しんでいただければ在住者としても嬉しい限りだ。
文・写真/新宅裕子(イタリア在住ライター)
東京のテレビ局で報道記者を務めた経験を活かし、イタリア移住後も食やワイン、伝統文化、西洋美術等を取材。ガイドブックにはないイタリアのあれこれや現地の暮らし、マンマ直伝のレシピを紹介している。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)