文・写真/大野絵里佳(アメリカ・アラスカ在住ライター)

アラスカと言えば手つかずの大自然という印象が先行するが、私がより心惹かれるのがそこに暮らしてきた先住民の歴史だ。アラスカ先住民といっても、大きく分けて10以上の民族グループがあり、各々独自の文化と歴史を持っている。なかでも今回は、南東アラスカを中心に住むトリンギット族(Tlingit)に関わるという「ペトログリフ(岩面彫刻)」の謎に迫ってみたい。

不思議な文様が彫られたペトログリフ(アラスカ州ランゲル)

謎多きペトログリフ

ペトログリフ(Petroglyph)という名前は、ギリシャ語で石(petro)と彫刻(glyph)を意味する言葉から生まれた。ペトログリフが岩や石に彫刻が施されたものを指す一方、ペトログラフ(Petrograph)と呼ばれるものは岩面に塗料などで描かれたものを指す。両者は先史時代の記録を残すという歴史的価値を持ちつつ、「ロックアート」と呼ばれ芸術的評価も高い。

ペトログリフは世界中で発見されており、最も古いとされているのは現在のウクライナにある「カメンナヤ・モグリャ(Kamyana Mohyla)」で旧石器(約10,000~12,000年前)のもの。多くのペトログリフの用途や目的は、未だ謎に包まれているが、地域差に関わらず人型、人面、渦巻き型など共通の意匠が見られるのは興味深く、世界中の研究者が注目を寄せている。

カナダで発見された人面が彫られた巨石

約40点ものペトログリフが発見された「ペトログリフ・ビーチ」

この先史時代の謎多き遺物は、アラスカ各地でも発見されている。特に多くのペトログリフが発見された場所として有名なのが、南東アラスカに位置するランゲル(Wrangell)にある「ペトログリフ・ビーチ(Petroglyph Beach)」だ。ダウンタウンから歩いて約1kmにあるこの海岸には、動物や人面、幾何学模様などが刻まれた約40点の岩が点在しており、州立の歴史公園に指定されている。

ペトログリフ・ビーチはダウンタウンからアクセスしやすい観光名所の一つ
海岸へ続く遊歩道には説明文が展示されている
遊歩道に置かれたレプリカは触ることが可能

遊歩道を進み海岸へ出ると、どこにどのようなペトログリフがある、というような案内板はなく大小のさまざまな岩石があるのみだ。この中から注意深く観察しペトログリフを探す。点数を「約40点」と先に述べたが、発見されて以来2/3が消えており、現在残存する正確な数は不明。砂や波によって削られ風化しているものも多く、光の反射や水に濡れた時に初めて気付くものもある。ちょっとしたトレジャーハント気分を味わえるのも、この場所の魅力かもしれない。

満潮では沈んでしまうペトログリフもあるので訪れるのなら引潮時が良い

一度見たら忘れがたい独特の文様

見つけたペトログリフの多くは、渦巻きや重複する丸がほとんどだ。持ち上げることができそうなくらいの岩に彫られたものから、人より大きな巨石に彫られたものなど大きさは様々。直線的な文様はほぼなく、多くがダイナミックかつ柔らかな曲線で彫られている。シンプルなのに一度見たら忘れられないデザインで、なかでも印象的なのが人の顔のように見える文様だ。真ん丸の目、大きく開けた口は実にコミカル。古代人のユーモアというのがあるとすれば、それは現代の私たちとそう変わらないのかもしれない、とつい思ってしまう。また、アイマスクやゴーグルのような文様もある。北極圏に住む人々は氷上の狩猟時に、反射する日光から目を保護するために日本の遮光器土偶のような独特な形のサングラスを使用したというが、その形をも連想させる。

丸が重複して描かれた“的”のような文様
驚いた顔のように見える文様
アイマスク?ゴーグル?オカルト的に言えば宇宙人っぽくも……
風化により薄くなっているが、薄っすらとシャチのようなヒレのある動物が見られる

ベーリンジアからやってきた狩猟民の記憶

一体、どのような人々がなぜこのようなバラエティ豊かな文様をわざわざ硬い岩石に彫ったのだろうか。そのヒントは氷河期に起こったと言われる人類の大移動に隠されているようだ。

かつて、アメリカとシベリアの間にあるベーリング海峡は2度地続きとなった歴史がある。うち28,000年前から13,000年前に起こったであろう2度目のベーリング陸橋(ベーリンジア)の時に、シベリアに住んでいた狩猟民がマンモスや大型のシカなどを追ってアメリカ大陸に到着した。最初の“アメリカ人”である。アメリカ全土、そして南米へと進出してゆくグループがいるなか、現在のアラスカに定住するグループもいた。彼らは現在のアラスカ先住民の祖先と考えられている。

ランゲルを含む南東アラスカを中心に暮らすトリンギット族も、このベーリンジアから渡ってきた人々を祖先に持つという。興味深いことに、彼らの口伝に「祖先は“氷の穴”を通ってきた」というものや、「祖先は海からボートでやってきた」というものがある。

民族衣装を纏い伝統舞踊をするトリンギット族の人々 (credit: Travel Alaska)

ペトログリフは子孫へのマイルストーン?

温帯雨林を保有する南東アラスカは、大きく丈夫な木材とサケ等の海洋資源が豊富だ。トリンギット族はカヌーやトーテムポールを彫り、サケ等を獲って独特の文化を築いてきた。文字を持たなかった彼らだが、口伝やトーテムポールの意匠などを通じ様々なことを子孫に伝えている。

ランゲルにあるトーテムポール

ペトログリフ・ビーチにあるペトログリフは8,000年前にトリンギット族の祖先が彫ったもの、というのが有力視されており、いくつかの意匠はトーテムポールと共通するものもあるという。また、アラスカで発見されるペトログリフが作られた目的にサケの豊漁、記念日、神話、領土の主張、儀式などが考えられており、なんらかの“伝えるべき記録”だったのは間違いなさそうだ。

まだまだ多くの謎が残るペトログリフだが、ベーリンジアを越えやってきたトリンギットの祖先が、資源に富んだこの地を子孫へと受け継ぐために知らせようとした痕跡なのかもしれない。

ペトログリフ・ビーチ(Petroglyph Beach):アメリカ合衆国アラスカ州ランゲル グレイブストリート(Grave Street, Wrangell, Alaska, USA)
ペトログリフ・ビーチのウェブサイト(アメリカ自然資源局より):http://dnr.alaska.gov/parks/aspunits/southeast/wrangpetroshs.htm (英語)

文・写真/大野絵里佳(アメリカ・アラスカ在住ライター)2019年よりアメリカ・アラスカ州在住。猫と犬と一緒に、のんきでワイルドな日々を過ごしています。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/

 

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