日本各地には多くの湧水がありますが、その中で、何故か名水と呼ばれる水があります。ただ、美味しいというだけではなく、その水が、多くの恵みをもたらし、人々の命に深く関わり、生活を支えてきたからに他ならないからでしょう。それぞれの名水からは、神秘の香りと響きが感じられます。名水の由来を知ることは、即ち歴史を紐解くことであり、地域の文化を理解することでもあります。
名水に触れ、名水を口にすれば、もしかすると、古の人々の想いに辿り着くことができるかもしれません。
歴史ある水を訪ね古都を歩きます。
1,200年以上の歴史を持つ京都には、市内のあちこちに由緒、いわれのある湧水、井戸水が数多くみられます。それら一つひとつの由緒やいわれは、遠い昔の出来事やその時代に生きた人々のことを、まるで歴史書のごとく今に伝えてくれています。
あるものは、史実に基づく逸話であったり、あるものは神格化された神話やお伽噺のようであったりと、それぞれじつに興味深いものです。それらの話は、しばしの間、歴史小説を読んだり大河ドラマを観ている時のように一種の没入感を味わうことができます。
特に、若かりし頃に歴史の授業などで学んだ出来事や人物にまつわる「水」となりますと、不思議な親しみや身近さを感じてしまいます。
今回の「古都の名水散策」では、時代の大きな転換期に起きた事件の舞台にもなり、神秘的な由緒と歴史上の人物にまつわるエピソードを持つ名水を取り上げご紹介いたします。
お伽噺「一寸法師」上陸の地は、京の南方で国を守護する神社のお膝元であった
「指にたりない一寸法師 小さいからだに大きな望み お椀の舟に箸の櫂(かい) 京へはるばるのぼりゆく」
これは、お伽噺をもとにした童謡「一寸法師」のはじまりの歌詞。おそらく、この童謡やお伽噺を「知らない」「聞いたことが無い」いう人はおられないでしょう。
しかし……「お椀の舟に乗った一寸法師、いったい京の何処へ着いたのでしょうか?」と質問されたら、どのようにお答えになるでしょう。このトンチのような質問に、ちょっと困ってしまう方も意外に多いのかもしれませんね。
じつは、川をのぼった一寸法師が上陸したのが、今回ご紹介する名水の地『城南宮』の南に位置した「鳥羽の津」であったとされています。
その『城南宮』は、延暦13年(794)山背国・長岡京から、四神相応(しじんそうおう)の地(地相からみて、天の四神に応じた最良の土地柄)として選ばれた平安京へ都が移された際、都の「南方で国を守護する神社」として創建されたことが始まりとされております。
ちなみに、四神とは「東の青龍(せいりゅう)」「西の白虎(びゃっこ)」「南の朱雀(すざく)」「北の玄武(げんぶ)」のこと。そして、四方には都を災いから守るように「八坂神社(東方)」「松尾大社(西方)」「上賀茂神社(北方)」そして「城南宮(南方)」が鎮座しています。
城南宮の境内にある駒札には以下のように由緒が記されています。
平安遷都の際、都の南に国の守護神として創建され、国常立尊(くにのとこたちのみこと)、八千矛神(やちほこのかみ)、神功皇后(じんぐうこうごう)をお祀りする。平安時代の末、この地に白河上皇によって城南離宮(鳥羽離宮)が造営されると一層崇められ、城南祭では流鏑馬(やぶさめ)や競馬(くらべうま)が行われた。また、離宮は方違(かたたが)えの宿所や熊野詣での精進所となり、方除の信仰が高まった。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』ゆかりの地・承久の乱発端の地
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』はご覧になっておられるでしょうか?
ここ城南宮は、貴族から武士へと権力が移行する象徴的事件「承久の乱」発端の地です。承久の乱が起こった承久3年(1221)頃、城南離宮(鳥羽離宮)は院政の中心地でありました。北条義時を抑え皇権を回復したい後鳥羽上皇は、離宮内で行なう城南流鏑馬の武者揃えと御所警護と称し、上皇方武士1700騎の集結をはかり、その後に挙兵に至ったとされています。
承久の乱については、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、事件の背景や関わった人物たちが、脚本家・三谷幸喜氏によって軽妙に描かれることでしょうから、乞うご期待とさせていただきます。
さらに、承久の乱から600年余りが経った幕末期、城南宮は「鳥羽伏見の戦」の勃発地となりました。境内には次のように記された駒札が立てられております。
ここ城南宮から、明治維新を決定づける戊辰戦争の発端となった、鳥羽伏見の戦がはじまった。慶応3年(1867)12月9日の王政復古の大号令で幕府は廃され前将軍徳川慶喜は、12日に京都の二条城から大阪に退いた。しかし、新政府側の薩摩藩の行為に憤激し、慶応四年正月二日、旧幕府兵および会津、桑名両藩の兵からなる大軍が、大阪から京都に向かった。これに対し朝廷では薩摩・長州・土佐諸藩の兵を鳥羽と伏見に繰出し、鳥羽では城南宮から鳥羽街道の小枝橋に至る参道に、伏見では御香宮神社附近に陣を構えた。
翌1月3日夕闇が迫り強行突破の構えを見せるや、城南宮の参道に置かれた薩摩軍の大砲が轟き、続いて伏見でも両軍が衝突、激戦となった。錦の御旗が翻ると、官軍となった新政府軍の士気は大いに高まった。五日錦の御旗は、鳥羽街道を南に進み、旧幕府軍は淀、八幡へ退却。新政府軍の勝利は決定的となった。
城南宮の周辺には、城南離宮を造営した白河天皇、鳥羽天皇、近衛天皇の陵墓や安楽寿院離宮跡公園がある。さらに、城南離宮の佇まいをとおして城南離宮を偲ぶことができるでしょう。
神事「お水送り」ゆかりの名水「菊水若水」|若狭の国から流れ、奈良・二月堂へ辿り着く地下水脈
長い歴史と歴史上の大きな出来事の舞台となった、城南宮。その境内に「菊水若水」と呼ばれる名水があります。この名水、じつに不思議な言い伝えを持ちます。城南宮社家の伝承によりますと、菊水若水の井を経て、毎年3月に行われる奈良のお水取りの水脈は、若狭国から東大寺二月堂の若狭井に達しているそうです。
そうした不思議な言い伝えを持つ「菊水若水」には、病気平癒の霊験あらたかな水としても古い逸話が残り、
境内の駒札に記されています。
城南宮に湧く名水は「菊水若水」といい、先ほどの鳥居の前に手水舎がありこの水は、江戸時代半ばの随筆に、「城南宮の菊水(延命水、若水ともいう)の井の水を飲むと、あらゆる病が治るというので毎日参詣人が絶えない。法皇の歯痛も治った」とあるように、病気平癒の霊験あらたかで、病人のためにお百度を踏んで水を戴いて持ち帰る習慣があった。
取材に訪れた時は「しだれ梅と椿まつり」の期間中で、神苑「楽水苑」内にある城南(鳥羽)離宮遺構の築山と伝わる「春の山」には、約150本もの紅白のしだれ梅が咲いており、春を満喫することができました。さらに春が進みますと、「平安の庭」では京都を代表する年中行事にも数えられる「曲水の宴」が行われます。機会を作って、歴史散歩と名水散策を兼ね城南宮を訪れてみては如何でしょうか?
所在地・アクセス
住 所:〒612-8459 京都市伏見区中島鳥羽離宮町7番地
交 通:近鉄京都線 竹田駅より徒歩約20分
市バス19系統を利用で「城南宮」下車 徒歩約3分
自動車:名神高速道路 京都南ICより直ぐ
H P:https://www.jonangu.com
取材・動画・撮影/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
ナレーション/小菅きらら
京都メディアライン:https://kyotomedialine.com Facebook