文・写真/角谷剛(海外書き人クラブ/米国在住ライター)

『エデンの東』ポスター

遙か遙かの大昔、名古屋在住の中学生だった筆者の部屋にはジェームス・ディーンのポスターが貼ってあった。映画『エデンの東』の1シーンで、地味なセーターを着たディーンが前屈みに横顔を見せている有名な写真だ。

旧約聖書に書かれたカインとアベル兄弟の確執、父親と息子の関係、そして原罪をモチーフにしたとされるこの作品を、その頃見たことがあったかどうかは記憶にない。もし見ていたとしても、中学生には多分ほとんど理解できなかっただろう。ただただ、24歳でこの世を去った伝説のスターを写した、そのたった一枚の写真が、異国の(と言う表現はいささか古いが)少年の心を捉えて離さないほどの磁力を放ち続けていたということだ。

スタインベックが繰り返し描いたカリフォルニア州中部の町サリナス

サリナス市街。スタインベック記念博物館への行き先を示す標識

『エデンの東』はジョン・スタインベックの同名小説が原作である。舞台となったサリナスはサンフランシスコから100マイル(160キロ)ほど南に位置している。海岸線からは20キロほど内陸に入り、周囲をレタスやイチゴなどの広大な農園に囲まれた小さな町である。

スタインベックはこのサリナスで生まれ育ち、『怒りの葡萄』、『二十日鼠と人間』、そして『エデンの東』など、代表作のほとんどを生まれ故郷の土地やその周辺を舞台にして書き上げた。

これらの作品は移民や季節農業労働者らの厳しい生活を題材にしたもので、サリナスもけっして美しく平和な土地としては描かれていない。

現在この地を訪れてみても、その印象はあまり変わらない。控えめに表現すれば、静かで落ち着いた町であり、言葉を選ばなければ、しけた町と呼ぶ人もいるだろう。近くにある海沿いのリゾート地モントレーや、芸術家が多く住むことで有名なカーメルなどとは違い、多くの観光客を引き付ける魅力を持った華やかな土地であるとは言い難い。

スタインベック記念博物館と生家

スタインベック記念博物館外観

現在、サリナスのダウンタウンにはスタインベックを記念した博物館が建っている。と言うよりは、博物館の周りにダウンタウンがあるという印象すら受ける。個人の作家を取り上げた博物館としては全米でも最大規模の1つであるということだ。館内にはスタインベックの諸作品に関する写真や記念品が数多く展示されていて、筆者はすべてを見て回るまでに2時間以上かかった。

この博物館が開設したのは1998年のことである。かつては寂れたサリナスのダウンタウン一帯を復興するプロジェクトの目玉として計画された。その所在地の住所「1 Main St, Salinas」を見れば、現在もこの町を代表する建物であることは一目瞭然だ。

サリナスのダウンタウンにあるメインストリート。奥がスタインベック記念博物館

博物館の周辺は古い時代の建物をイメージした映画館やレストランなどが並んでいる。派手さはないが、荒れた印象はない。それなりの人通りもある。計画された通りにダウンタウンの復興はどうやら上手く行っているようでもある。

博物館の近くにはスタインベックの生家があり、現在ではレストランとギフトショップになっている。作品から受けるイメージとは異なり、スタインベック自身はそれほど貧窮な育ちではなかったようだ。

スタインベック生家

豪邸と呼ぶほどではないが、けっして小さな家ではない。スタインベックの父親は公務員、母親は教師で、要するに知識人の家庭で生まれ育った。幼いころから読書を好み、地元の高校を卒業した後は名門スタンフォード大学に進学している(卒業はしていない)。

1925年に大学を離れてからしばらくは、いくつかの職を転々として、苦しい生活を送ったようだが、そもそもが世界大恐慌の時代である。スタインベックだけが特別に困窮していたというわけではない。1935年に出版した『トーティーヤ大地』で作家としての経済基盤を確立し、1940年には『怒りの葡萄』がベストセラーになり、ピューリッツァー賞を受賞している。

失われた故郷の象徴になってしまったスタインベックの後半生

博物館前の石碑に刻まれたスタインベックの言葉
「この土地にあるすべての町、すべての農地、自然の中の牧場について書いてみたい。
そうすればそれが私にとって世界を書くことになるだろう」(筆者訳)

功成り名を遂げた後のスタインベックは故郷を離れ、北米大陸の反対側であるニューヨークに長く住んだ。イギリスやフランスで生活したこともある。しかし、もはや晩年と呼ぶべき58歳のとき(没年は68歳)、アメリカを車で1周する長い旅に出た。『チャーリーとの旅』に描かれたこの旅の途中で、サリナスにも立ち寄っている。

だが、その時すでに、サリナスはスタインベックが記憶していた故郷とは大きく様変わりしていたようだ。懐かしい風景や人々に出会えないことへの戸惑いは、モントレーを訪れた時に決定的になる。かつて通ったことのある映画館の1つが「ジョン・スタインベック・シアター」と名前を変えていたのだ。

思いもかけず、自分が故郷を象徴する人物になってしまったことを知り、スタインベックはトム・ウルフの言葉を引用して、こう書いている。

「人は故郷に2度と帰ることはできない。なぜなら故郷とは古びた記憶の中以外には存在しないものだからだ」(筆者訳)

スタインベック本人がそれを望むかどうかは別にして、現在のサリナスを訪れる人はこのアメリカを代表する作家の名をどこかで目にするだろう。

「スタインベック記念博物館」(National Steinbeck Center)
住所:1 Main St, Salinas, CA 93901
電話:831.775.4721
公式ホームページ: https://www.steinbeck.org/

文・角谷剛
日本生まれ米国在住ライター。米国で高校、日本で大学を卒業し、日米両国でIT系会社員生活を25年過ごしたのちに、趣味のスポーツがこうじてコーチ業に転身。日本のメディア多数で執筆。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。

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