取材・文/柿川鮎子

ウクライナ移民が持ち込む犬について、いろいろな意見が交わされていますが、ここでもう一度、人々が狂犬病とどう戦ってきたのかを振り返ってみましょう。

人類の歴史と共に続いた狂犬病との闘い  

人類と狂犬病との闘いの歴史は約4000年前まで遡ります。紀元前1930年頃に発令された、古代メソポタミアのエシュヌンナ法典では狂犬病に関する罰金を定めていました。たった100年前までは狂犬病の原因となるウイルスの存在すら不明な、恐ろしい病でした。

現在、世界中で毎年約5万5000人が亡くなっている狂犬病は、発症してしまえば致死率は100%。治療薬は無く、開発の見込みも立っていません。そんな中、日本は世界で8カ国しかない、狂犬病・清浄国のひとつなのです。

狂犬病は感染の99%が、犬の咬傷によるものです。そのため、日本の飼い主さんは「狂犬病予防法」という法律に則って、一年に一回、ワクチンを接種しています。愛犬の命を守るためであるのと同時に、人間の命も守ってくれています。

ひとたび感染が広がれば、愛犬は人命救助のために命を奪われます。1997年、インドネシアのバリ島以東の東ヌサテンガラ州、フローレス島では、フェリーで持ち込まれた3頭の犬から狂犬病が発生し、81名が死亡。累計約50万頭もの犬が殺処分となりました。

ひとたび狂犬病が発生したら、日本でもワクチン接種をしていない犬は、インドネシアと同じような殺処分が行われるでしょう。愛犬が人命救助のために殺処分される日がくるかもしれないのです。

メソポタミアの旧都マルディン

苦しい戦いの末の狂犬病「清浄国」

日本は世界でも珍しい狂犬病ゼロの「清浄国」ですが、それまでは海外からもたらされた犬によって、多くの人々が命を落としました。関係者の血のにじむような努力の結果、清浄国にしてきたのです。

日本での狂犬病・撲滅作戦は主に「狂犬病の犬の殺処分」と「予防のためのワクチンの普及」そして、「狂犬病の犬を持ち込まない」作戦でした。

日本で記録に残されている最初の狂犬病の大流行は、享保17(1732)年、長崎の出島から始まりました。狂犬病は瞬く間に九州全土に広まり、犬のほかに猫、家畜の牛や馬、野生の狸やキツネまでが被害に遭いました。九州から日本全土に広まりましたが、成すすべもないまま、自然鎮火しました。以後、神戸、青森、長崎など各地で小さな流行を繰り返しました。

明治時代、外国との交流が増えると、海外から持ち込まれた猟犬などから、狂犬病が爆発的に広まります。特に外国人居留地があった横浜は犠牲者が多い地域でした。警察官による殺処分の頭数も多く、殺される犬に心を痛めた市民が、自発的に資金を集めて、市内各地で犬の慰霊塔を建立しました。横浜市鶴見区の総持寺では今も立派な慰霊塔が残されています。

明治33年の警察要務目録(国立国会図書館アーカイブズ:抜粋)に記された「狂犬撲殺」

長崎の医師・栗本東明が日本初のワクチンに成功

狂犬病撲滅のために、ワクチンによる光明を得たのは1895年、長崎の医師・栗本東明(1853~1921年)の活躍によるものでした。パスツールの開発した方法で、ウサギの脳を使って狂犬病ワクチンを完成させたのです。狂犬病の発症前にワクチンを接種する「曝露後免疫」と呼ばれる治療を行い、発症前の62名に実施したところ、60名が命を救われました。

運よく発症前にワクチンを接種すれば助かりますが、発症してしまえば効果はありません。また、発症前でも顔など脳に近い部分を噛まれると、ウイルスが脳に達してしまい、治療の効果が得られません。狂犬病の犬を国内から一掃するだけでなく、狂犬病の犬を海外から持ち込まない作戦も重要でした。

そこで活躍したのがクロフォード・F・サムス(1902~1994年)、米国陸軍軍医准将兼、GHQ公衆衛生福祉局長です。サムスは狂犬病予防注射業務を行政から民間に移管して、狂犬病の流行を食い止めるのに成功します。

犬の移動を制限したほか、狂犬病撲滅の国民向けPRを積極的に行いました。1950年に「狂犬病予防法」が制定され、現在のような登録と鑑札の交付や、予防接種の義務化などが行われるようになったのです。

輸出入の検疫制度もこの時期に徹底され、日本に持ち込まれる犬は必ず狂犬病ワクチンを接種するなどの措置が義務付けられました。一定期間の係留は、狂犬病の潜伏期間を考慮して定められました。そして、ようやく1956年、6頭の犬を最後に、日本から狂犬病が一掃され、めでたく清浄国となったのです。

野良猫と安心して遊べる日本を

狂犬病は日本にとって、決して過去の流行り病ではありません。いくら法律で定められていても、ワクチンの接種率は飼い犬の約7割と低下し続けています。港で外国船に不法に投棄された野犬が増えている事例も報道されました。

狂犬病清浄国という素晴らしい実績は、次の世代にも受け継がねばなりません。野良猫を触っても安心な国。子どもが落ちていたコウモリを触って遊んでも、狂犬病で亡くなることが無い国は、世界でわずか8か国しかないのです。

日本が「人と動物が安心して暮らせる国」であるために、必要なことは何か。人類と狂犬病の戦いの歴史を、もう一度、振り返る時が来ています。

文/柿川鮎子
明治大学政経学部卒、新聞社を経てフリー。東京都動物愛護推進委員、東京都動物園ボランティア、愛玩動物飼養管理士1級。著書に『動物病院119番』(文春新書)、『犬の名医さん100人』(小学館ムック)、『極楽お不妊物語』(河出書房新社)ほか。

 

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