誰しも、決して消し去ることのできない記憶がある。その多くが、幼少期の出来事であるように思う。それらの記憶は、歳を重ねるにつれ遠のき薄れるどころか、鮮明さを増し臨場感さえも伴い蘇ることがある。そして、蘇る頻度も多くなっているようにも思う……。
しかし、その記憶の中に居る人々の多くは、記憶の中でしか逢えないことに気づき悲しさと寂しさを覚える。
記憶とは甚だ不確かで曖昧なものだ。自分の都合の良いように美しい記憶を捏造している場合もあるかもしれない。そう考えると、どこまでが現実の出来事で、どこまでが夢や空想なのか自信が無くなる。思い出を語りあい、笑いながら「それは違うぞ! お前」と正す友人は、既に旅立っている。
最早、確認する術を失ってしまった感がある。お陰で、都合の良い記憶は美しいままで克明さを増し動かし難い記憶となり、今後塗り替えられることはない。
そんなことを考えながら、一人苦笑しながら飲む酒が、やけに胸に沁みる。この頃は、酒も女房にもからっきし弱くなった。
さて、今回の『懐かしき風景』でご紹介しますのは、岡山県の山間部真庭市鍋屋という小さな町に残っている明治期に建てられた校舎の姿です。この建物からは、何故か威厳や風格、そして気高さのようなものを感じます。新しい建築物からは決して感じ得ない雰囲気を醸し出しています。これこそが歴史の重みともいうべきものなのでしょう。
もしかすると、動画の場面、場面に貴方の幼少期の姿を垣間見ることができるかもしれません。あるいは、懐かしい思い出を呼び起こすひと時にしていただけるのかもしれませんね。
威厳と風格、気高さすら感じる木造校舎の姿・伝統と時代の重みが醸し出す空気感
正式な施設名称は「旧遷喬尋常小学校」(真庭エスパス文化振興財団)。読み慣れない漢字の連なりからも歴史を感じます。その歴史と意味を知れば、この校舎が放つ威厳と風格、気高さに納得できるでしょう。
校名の由来は、
出自幽谷、遷干喬木
読み方は、「幽谷(ゆうこく)より出でて喬木(きょうぼく)に遷(うつ)る」とのこと。
意味はと申しますと…「鶯(うぐいす)が深山の暗い谷間から飛び立ち、高い木に移ることに例えて、学問に励み立身出世すること」という誠に深淵なものです。
当時の人々が、博学であるとともに勉学に対しての意識と意欲、人材の育成への志が高かったことをひしひしと感じます。“名”とは、決して安易につけるものでないことを改めて教えられました。
現在に残る校舎は、着工から2年の歳月を掛け明治40年(1907)7月に完成したもので、100年以上も歴史ある建造物です。驚いたのは、この校舎が平成2年(1990)の夏まで、現役校舎として使用されていたこと、そして、閉校後も取り壊されることなく残っていることです。
その理由は、様々あるでしょうが、もしかするとこの建造物の威厳と風格、気高さが、関係者の方に「後世に残すべき建造物」との気持ちを想起させたのではないかと……正に「名は体を表す」との感を強くするばかりです。「旧遷喬尋常小学校」は、平成11年(1999)に国指定重要文化財となっております。
ちなみに、尋常小学校とは明治19年(1886)の「小学校令」により「尋常小学校」「高等小学校」という名称が使用され始めました。その後、昭和16年(1941)の「国民学校令」によって、小学校は「国民学校」となり、「尋常小学校」という名称は廃止されました。使用された年数は55年間。
学舎としての役割を終えた現在では、一般に公開されています。映画『ALWAYS 三丁目の夕日』やドラマ『火垂るの墓』などのロケ地としても使用されたことがあるそうです。コロナ禍になるまでは、期間限定で行われていた「なつかしの学校給食」の催しがとても好評であったとか。機会がございましたら、ご自身の少年少女時代に戻れる場所へ訪れてみてはいかがでしょうか?
アクセス情報
所在地:岡山県真庭市鍋屋17-1
鉄 道:JR西日本 姫新線久世駅から徒歩約10分
自動車:米子自動車道久世ICから約5分
取材・動画・撮影/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
ナレーション/敬太郎
協力/「旧遷喬尋常小学校」(真庭エスパス文化振興財団)
京都メディアライン:https://kyotomedialine.com
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